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小林秀雄の凄味と国語科講師の必携技術

先日コメント欄でこのブログの論客であるクライバーさんとやり取りさせていただいた折、次のような書き込みを貰った。

算数好き=論理的思考好きとすれば、国語の物語文はダメでも論説文は大丈夫なので露見率の差に現れるのでは?

なるほどその通りだ。そしてその言葉を読んだとき、とあることを思い出していた。
実は以前、予備校で国語を教えている友人と「論説文はどれくらい論理的か?」ということを検証したことがあったのだ。

確かその時はセンター試験の国語を何回か取り上げて、分解・分析した。
で、結果は「まあまあ論理的」。
逆に言えば、ところどころおかしな点が散見された。

簡単に書くと、やはりこれまたこのブログの論客である甘えん坊将軍さんがコメント欄に記載してくれた次の点で揺らいでいる論理が、ちょこちょこあったのだ。

「pならばqである」が真であるとき、
「qでなければpでない」(対偶)は真であるが、
「pでなければqでない」(裏)や「qならばpである」(逆)は必ずしも真ではない。


まあしかし、これは仕方がない。
あまり「論理の運び」をきつく縛ると、肝心の「主張」が小ぶりになっていくし、なにしろ「文章」にみずみずしさがなくなる。
文章が生き生きとしていないと、言いたいことも伝わらない。というか、生き生きした文章で見せてあげると、大したことない主張でも、「そうだよなあ」と感嘆させられる。
そうした文章の持つ魔術を熟知していたのが、小林秀雄だ。

小林秀雄
<閑話休題>
かつて小林信彦は駆け出しのころ、とある出版社に行って受付嬢に「小林信彦です。○○さんをお願いします」と伝えたら、内線電話で「小林秀雄様がお見えです」と言われたらしい。
小林信彦は「俺もずいぶん大物に間違えられたなあ」なんて呑気に書いていたけど、○○さんにしてみたら椅子から転げ落ちるほどの衝撃だったろう。
音楽界でいえば、井上某という駆け出しのギタリストに会う予定のところに「井上陽水様がお見えです」と言われたようなものか。

さて件の国語の予備校講師も授業では、「国語は論理的に考えて答えを出せ。カンやセンスなど私の授業に持ってくるな」と威勢よく喋っているが、「実を言うとさ、どうしても絞り切れない選択肢もあるんだよ」。

70%はこっちだと思うんだが、100%になる決め手がない。
すべての選択肢に「選べない理由」が存在する。


俺「そういう時、どうやって生徒に説明するの」
友「これはこうなるよね、じゃ次の問題なんだけど、ってサッと流す」
俺「ズルくね?」
友「こういう技術も講師には必要なの」

そういう技術ばかり上手くなっているみたいだけどな。

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コメント

写真の小林秀雄の表情がいいですね。
年を重ねた後に私にもこのくらいの毛量が残っていればよいのですが。

なお、小林秀雄の説得力の15%程度はこの毛量によるものです。
そして、司馬遼太郎の説得力の10%程度はあの白髪によるものです(→このことは、黒髪である大木凡人氏の説得力と比較することによって見てとれる)。(以上、俺調べ)

>あまり「論理の運び」をきつく縛ると、肝心の「主張」が小ぶりになっていくし、なにしろ「文章」にみずみずしさがなくなる。

確かに仰る通りですね。
少しずれますが、私も仕事をしてきて感じるのは、書き言葉であれ話し言葉であれ、相手を説得する際にロゴス(論理)だけで押し切るのは難しく、パトス(熱意)やエートス(倫理)を適時・的確に織り交ぜないといけないときがあるということ。
この辺りは、年の功が意味を持つところかもしれません。

小林秀雄

>さて件の国語の予備校講師も授業では、「国語は論理的に考えて答えを出せ。カンやセンスなど私の授業に持ってくるな」

中学受験では国語もなんとか6年最後に間に合ったうちの娘も、物語文は今でも苦手で解答にも文句をつけています。論説文は、本人曰く、言わんとすることは(偉そうに)分かるそうで、辛うじて国語崩壊までには至っていませんが、上記の話を知れば喜ぶかもしれません。

娘が国語は嫌いだけど英語は好きという点はwhyです(言語という意味では同じなのに・・・)。

小林秀雄のモオツアルトは懐かしいですね。有名な「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。」の一節は、この曲にかかる私のイメージが適切に文章で表現されていると感じ、影響を受けました。

私の中ではベートーヴェン=論説文、モーツァルト=詩のイメージですね。

>有名な「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。」の一節

この一節に触れたときには私も震えました。
意味はよく理解できないけれど、かっこいいなと(たぶん私にはその真意を永遠に理解できない)。

この一節に触れて以来、このフレーズを使うチャンスを虎視眈々と狙って日々の生活を送っています。
私が想定している使用例は、たとえば次の通りです。

■想定シーン:
「ピカソのゲルニカは名作とされているけど、いったいどこが名作なのか」という話題になった場面。

■私が想定するフレーズ使用例:
私「ピカソ独特の一風変わったキュビズムの手法で描かれているから、ゲルニカのどこがいいのだろうかと疑問に思う向きはあるかもしれないけれど、戦争の現象面を具象的・写実的に描くのでは、子を失った母のかなしみといった形のないものを表現しきれないのではなかろうか。キュビズムの手法で描いたからこそゲルニカのかなしさは疾走する、涙も追いつけないんじゃないかなあ」

不謹慎発言~その2~

>キュビズムの手法で描いたからこそゲルニカのかなしさは疾走する、涙も追いつけないんじゃないかなあ

→1番伝えたいことを、親近感のある短い言葉にして最後に述べるという“甘えん坊将軍式記述法”は千葉共和国の教科書にも取り入れられている。そして彼のお茶目な文章は今も多くの国民の心を捉えて離さない。
 美しい文章を書く小林秀雄氏は重鎮達に愛されたが、美しい旋律を描いたモーツアルトは重鎮達の妬みを買い貧困の中に没した。いつの世も悲しげな旋律は美しい。

 ~全く関係ないが、美しくないものは隠蔽される。美しい部分だけを残し抹殺されるのだ~

*ドビュッシーの冒険 by Gemini

〈第一楽章〉
18歳から8年間も人妻と不倫関係を続けたドビュッシー。その後6年間同棲した女Aに歌姫ちゃんと二股かけてた事がバレる→女A激怒し自殺未遂→破局。
〈第二楽章〉
あろうことか速攻で女Aの友達だった女Bとデキ婚しちゃった浮気男のドビュッシー→その舌の根も乾かぬうちからから教え子の母親女Cを口説き落とし不倫→結婚したばかりの妻と生まれたばかりの子を捨て女Cと駆け落ち→女B絶望しコンコルド広場で自殺未遂。
〈第三楽章〉
40歳で女Cと再婚し、精力的に創作活動を続けたドビュッシー。彼は規則的な律動にとらわれない書法の先駆けであり、それまでの西洋音楽の概念からは異色ともいえる存在であったが、その独創性が高く評価された。
〈エピローグ〉
 世間は〈一楽章〉〈二楽章〉その他の雑音は一切無かったものとして、女Cとその子供を溺愛し、愛する家族に美しい曲をプレゼントする素敵なパパ像〈第三楽章〉と作品のみを後世に残した。

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Author:ジャーナル・ギャップ
酒と野球とミステリーをこよなく愛するが、なんの因果か中学受験についていろいろ書いていくことに。

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