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どこの大学に行くかは地頭で決まる、のか?

教育関係のネットで最近よく見かけるのは「地頭」という表現である。
地頭が良い、地頭が悪い、などと使う。

ニュアンスはわかると思う。大して努力せずにテストで良い結果を出している奴は「地頭が良い」なんて言われる。
才能や遺伝と同じサイドの言葉だが、それよりもカジュアルに使えるところが「地頭」の良さだ。
裏付けもいらない。

ただこの「裏付けもいらない」安易さが、この言葉に不思議な呪いをかけてしまうことになる。
たとえばこの記事にタイトルみたいなことを言う人がいる。

「どこの大学に行くかは地頭で決まる」
そして、この言葉には続きがある。
「だから中学受験なんかムダ」

このレトリックは、逆説的に中高一貫校が公立中→公立高ルートよりも「勉強の量が多い」「勉強の質が高い」ということのいずれかを(あるいはその両方を)認めてしまっている。
何故なら、たくさん勉強した方が学力は高まるし、また同じ勉強時間だとしても質の高い勉強をした方が結果は出る。
そうした常識を「地頭」という言葉で否定しているのだから。

日比谷からでも47人(15%)も東大出てるのに、武蔵なんて22人(13%)しか出ていないんだから、中学受験なんかしてもムダ。
というようなことが言いたいようだが、これなどは論理の罠にすっぽり落ちてしまっている。
もし地頭云々が言いたいなら、同じ地頭の人間で比較するしかないのだ。別の人間ではなく。

たとえば地頭で大学が決まるなら、中学受験をさせないというのはわかる。そんな勉強をしてもムダだからだ。
しかしそれなら高校受験の勉強だってムダだ。
そして大学受験の勉強だってムダだ。
だって「どこの大学に行くかは地頭で決まる」のだから。

しかし「どこの大学に行くかは地頭で決まる」という人は、中学受験はムダだという割に、高校受験のことは何も言わない。
結局、中学受験を批判したいだけに「地頭」という言葉に飛びついているだけに過ぎない。

本当に「どこの大学に行くかは地頭で決まる」などと、カルヴァンの予定説のような考えがあるならじっくりと聞いてみたかったのだが、残念ながらそこまで考え抜いた発言ではなかったようだ。

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コメント

――鎌倉幕府の執権であった北条泰時らは、1232年に御成敗式目を制定し、守護や地頭の職務権限を定めた。御成敗式目においては、諸国の御家人の子息の大学進学許可は、その国の守護の権限とされた。

室町時代に入ると、守護が持つ徴税権は拡大し、経済力を強めた有力な守護(守護大名)の中には複数の国を支配下に収めるものも現れた。その一方、大学進学許可権限は、守護から各地の地頭へと委譲されていった。子息の大学進学を望む御家人は、その地を管轄する地頭に対して出願を行い、地頭の自由な裁量によって、大学進学の許否や、どの大学へ進学できるかが決められることとなった。

「どこの大学に行くかは地頭で決まる」と言われるようになったゆえんである。――

(民明書房刊『泣く子と地頭に勝つ100の方法』より)

No title

 まあ「東大行く奴は公立からだって田舎からだって行く」という話と似ている。

 ただ、オラは「田舎から」「公立から」東大行くのは大変だということを経験的に知っている。 オラの高校にも化け物みたいに頭のいいやつがいたが、ボロっと東大落ちて浪人したりした。(結局 東大には入ったが)

 なんというか・・・

 首都圏の中高一貫に行った方が、より簡単に東大に行けるのだ。 高校入試がない、先取りなども含めカリキュラムが優れているのかもしれない。 カリキュラムの問題だとすれば 渋幕行っても市川行っても大差ないことになるが。  (実際はもちろん周囲の刺激も無視はできないだろう)

 化け物はまあ置いておいて、中高一貫の優れた点は「普通の、ちょっと頭がいい、真面目な奴」が東大に行けることだ(多分)。  このメリットは大きい。

 で、エビデンス?データ? 

 そんなものはない。 オラの「経験」だ。

甘えん坊将軍さんへ

うひゃひゃひゃ。そうだよねえ、地頭と書いたら「じとう」だわさ。
ましてや「将軍」なんだから。

>(民明書房刊『泣く子と地頭に勝つ100の方法』より)

芸が細かい。

地頭より偉いのが将軍なんだから、大学進学は実は全部甘えん坊将軍さんが決めてたってことか。
全受験生の親は、中学受験なんてやめさせて、今からでも甘えん坊将軍さん参りをするべきだな。

>ましてや「将軍」なんだから。
>全受験生の親は、中学受験なんてやめさせて、今からでも甘えん坊将軍さん参りをするべきだな。

自分のHNに「将軍」が入っているのを忘れていました……
暴れん坊将軍(徳川吉宗)は征夷大将軍なのですが、私は甘えん坊な誠意大将軍なので、誠意のある受験生はみな合格とします。

そういえば

> 誠意大将軍

なんか、そういう名前でマダムに宝石売ったり、投資の話とかしてて、捕まっちゃった人がいたなあ。

地頭について

こちらの本題はじとうのようですが、じあたまについて思うところを書き込ませて頂きます。

受験勉強を語る上での「地頭」とは、同じインプットをした場合のアウトプットの質と量を指すのかと思います。これを前提にすると、同じ学校で同じ授業を同じように真面目に受けて、課題を同じようにこなし、誰も学校で指定された以外の勉強はしないのであれば、ほぼほぼ大学は地頭順に決まるでしょう。

しかし実際には、授業をしっかり聞き要点を書き留めて復習する生徒も居れば、上の空で復習なんてゼロの生徒も居ます。塾や通信教育を利用する生徒も居れば、放課後は遊びしかしない生徒も居る。かくして、同じ学校で同じ授業を受けても、インプットは同じにはなりません。まして、学校が違えばインプットが同じになるのは不可能です。

ここまで説明しても、「いや、どこの学校に行こうが、大学は地頭で決まる」と言う人が居たら、そっとしておきましょう。人生100年時代と言われるようになりましたが、そういう人に時間を費やせるほど人生長くはありません。

一方、努力で埋めるのが難しい地頭の差、というのは存在します。ウサギに普通に走られたら、カメもお手上げです。しかし、ここで地頭が決めているのは、同じようにやった場合のウサギとカメの相対的な差であって、やり方が違えば差は変わります。カメもインプットの質と量を上げることで、自身の到達点を上げることが出来ます。逆に、どうせ地頭で決まるんだからと拗ねていたら、背後にはカタツムリが迫って来ます。

地頭を過信しても、地頭を嘆いても、良い結果には繋がりません。つまり、受験に取り組むには、地頭という言葉は封印すべきなのです。

冗談を言っているうちに、陸宿借さんにうまくまとめられてしまいました。

「地頭」の意味が何であれ、基本的にはその人自身がコントロールできない何かを指しているのだろうと思います。

一般論として地頭の意味や良し悪しについて語るのは面白いのかもしれませんが、自分やわが子、あるいは他人の地頭を云々したり嘆いたり羨んだりしても詮方ないように思います。
自分がコントロールできないものごとに一喜一憂するくらいなら、コントロールできることに精力を注いだほうが有益だと思います。

受験勉強にしても、高校時代の私の同級生たちは、何だかんだで受験前はよく勉強してました。地頭だけで難関校に合格できるわけがない。

私の個人的な昔話になりますが、田舎の公立中にいた頃は「俺はよく勉強する人間だ、エッヘン」なんて思っていましたが、都会の進学校に入ったら、呼吸をするように勉強している連中がそれなりの数いて(もちろんその対局の連中もそれなりの数いる)、中学までとはずいぶん空気が違うなと感じたものです。

あまりうまい例えではないかもしれませんが、進学校に通うのは、空気の薄い高地でマラソンのトレーニングをしているみたいなもので、その環境に慣れてしまうとどうということはないのですが、学校生活についていくだけで、カリキュラムのおかげなのか同級生のおかげなのかわかりませんが、それなりに学力が引き上げられていくような感触があります。

自分がもしあのまま田舎にいて公立高に進学していたらどうだっただろうと考えたとき、何となくそんなことを思いました。
まとまりのない投稿で失礼しました。

No title

「遺伝(先天的)」と「環境(後天的)」って 大昔から議論されてきたテーマだが、近年 あらゆることが遺伝(先天的)で決まっている、という議論が多くなっている気がする。

 とすると オラがグータラなのも遺伝か?
 
 遺伝論ってのは楽だ。 オラはグータラな人間とDNAに書いてあるのだから努力なんてできないのだ。 

 しかしそんなことをアホ息子が言ったら即座に否定するだろう。
 
 オラがグータラなのは遺伝だ。仕方ないのだ。
 アホ息子がグータラなのは単なる怠け、逃避、努力不足だ。勉強せい!  ほほほ。

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Author:ジャーナル・ギャップ
酒と野球とミステリーをこよなく愛するが、なんの因果か中学受験についていろいろ書いていくことに。

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