コメント
17歳の女子高生
時々俺が子供サイドに立った記事を書くのは、じつは俺が17歳の女子高生であることのひとつの証左である。
No title
以前 陸宿借さんが「社会は論理だけで動くわけではない。感情も時には大きな要素を占める。電通で自殺したのがただのオッサンだったら世の中は動かなかっただろう」といったようなことを書いていらっしゃった。
グレタさんを見て最初に陸宿借さんのこの言を連想した。
グレタさんを見て最初に陸宿借さんのこの言を連想した。
ある一つの「大人」の定義
むかし読んだ本に、「大人」と「子供」の意味が書かれていた。
その本には、「その人が属する社会において身につけるべきとされている規範を身につけた者」が「大人」であり、それを身につけていない者が「子供」であると書かれていた。
またその本には、民族・文化等が異なれば身につけるべきとされる規範も異なるから、ある社会においては大人とされる者も、他の社会の大人からは子供じみて見えることがあるとも書かれていた。
以下は、上記の見解を踏まえた私の意見。
子供の振る舞いが、その社会の規範に影響を与えない範囲にとどまると大人に受け止められているうちは、大人も鷹揚に構えるが、
子供の振る舞いが、その社会の規範に亀裂をもたらしかねないと大人に受け止められたとき、大人は規範の防衛にかかる。
大人が子供を批判するとき、そこから見えてくるのは、「批判された子供の振る舞いの良し悪し」ではなく、「批判した大人が抱いている規範観(大人観、子供観)」のほうなのかもしれない。
また、グレタさんが世界のあちこちで色んな「大人」から叩かれているのだとすると、彼女の振る舞いには、民族・文化等の違いを越えて通底する「大人」の規範を揺るがす何か(批判者にとってはそのように受け止められる何か)があるのかもしれない。
その本には、「その人が属する社会において身につけるべきとされている規範を身につけた者」が「大人」であり、それを身につけていない者が「子供」であると書かれていた。
またその本には、民族・文化等が異なれば身につけるべきとされる規範も異なるから、ある社会においては大人とされる者も、他の社会の大人からは子供じみて見えることがあるとも書かれていた。
以下は、上記の見解を踏まえた私の意見。
子供の振る舞いが、その社会の規範に影響を与えない範囲にとどまると大人に受け止められているうちは、大人も鷹揚に構えるが、
子供の振る舞いが、その社会の規範に亀裂をもたらしかねないと大人に受け止められたとき、大人は規範の防衛にかかる。
大人が子供を批判するとき、そこから見えてくるのは、「批判された子供の振る舞いの良し悪し」ではなく、「批判した大人が抱いている規範観(大人観、子供観)」のほうなのかもしれない。
また、グレタさんが世界のあちこちで色んな「大人」から叩かれているのだとすると、彼女の振る舞いには、民族・文化等の違いを越えて通底する「大人」の規範を揺るがす何か(批判者にとってはそのように受け止められる何か)があるのかもしれない。
ある一つの「大人」の定義②
「大人」と「子供」の定義のことを書いていて一つ思い出した。
これは私が考案した定義なのだけれど、私がそう思っているだけで、誰かの受け売りかもしれない。
「大人」とは、自分のことをまだ子供だと思っている者であり、
「子供」とは、自分のことをもう大人だと思っている者である。
これは私が考案した定義なのだけれど、私がそう思っているだけで、誰かの受け売りかもしれない。
「大人」とは、自分のことをまだ子供だと思っている者であり、
「子供」とは、自分のことをもう大人だと思っている者である。
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この間の麹町中工藤先生が紹介してくれた日本財団の調査データ
https://www.nippon-foundation.or.jp/who/news/pr/2019/20191130-38555.html
これによると、日本の18歳は「自分は大人である」と答えた割合が諸外国に比べて極端に低い。
日本29%
韓国49%
インド84%
中国90%
アメリカ78%
しかし甘えん坊将軍さんの定義に従えば、日本人は「大人」の割合が最も高くなる。
なんだ日本人捨てたもんじゃないニャ
あれ? 「そういうことじゃない」?
https://www.nippon-foundation.or.jp/who/news/pr/2019/20191130-38555.html
これによると、日本の18歳は「自分は大人である」と答えた割合が諸外国に比べて極端に低い。
日本29%
韓国49%
インド84%
中国90%
アメリカ78%
しかし甘えん坊将軍さんの定義に従えば、日本人は「大人」の割合が最も高くなる。
なんだ日本人捨てたもんじゃないニャ
あれ? 「そういうことじゃない」?
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テレビでイギリスのEU離脱問題をやっている。
アホ息子と「国境」について話をした。
日本にいると国境は意識しない。空港で「入管」を超えるだけだ。
ヨーロッパを移動すると、車で、電車で、船で、歩いて、国境を越える。 日常だ。
今度、アホ息子を連れてヨーロッパで国境というものを超えてみよう。国境を意識するのも大事かもしれない。「バカバカしい」と思うか「大事」だと思うか・・・
やっぱり昔「東側」に行くときは嫌な感じがした。
「もう帰ってこられないかも」と言ったざわざわした感じがするのだ。 戻ってきた時の安堵感は忘れられない。
「じゃあいかなきゃいいじゃん」
正論である。その通りだ。
オラは絶対行かないが、今 北朝鮮とかに行けばそんな感じだと思う。
アホ息子と「国境」について話をした。
日本にいると国境は意識しない。空港で「入管」を超えるだけだ。
ヨーロッパを移動すると、車で、電車で、船で、歩いて、国境を越える。 日常だ。
今度、アホ息子を連れてヨーロッパで国境というものを超えてみよう。国境を意識するのも大事かもしれない。「バカバカしい」と思うか「大事」だと思うか・・・
やっぱり昔「東側」に行くときは嫌な感じがした。
「もう帰ってこられないかも」と言ったざわざわした感じがするのだ。 戻ってきた時の安堵感は忘れられない。
「じゃあいかなきゃいいじゃん」
正論である。その通りだ。
オラは絶対行かないが、今 北朝鮮とかに行けばそんな感じだと思う。
大人になんかなりたくない
子供とは、しばしば大人になりたいと思う者であり、
大人とは、時折子供にかえりたいとこぼす者である。
ちなみに俺は、「お前は子供やなあ!」とよく言われます。
大人とは、時折子供にかえりたいとこぼす者である。
ちなみに俺は、「お前は子供やなあ!」とよく言われます。
誇りはしないが糧になる
> 「じゃあいかなきゃいいじゃん」
> 正論である。その通りだ。
仰るとおりである。
しかしハルビンさんもわかっている通り、行ったら行ったなりのものが、人生にはついてくる。
それを誇ることはしないが、しかし、苦しみに耐える糧になる。
> 正論である。その通りだ。
仰るとおりである。
しかしハルビンさんもわかっている通り、行ったら行ったなりのものが、人生にはついてくる。
それを誇ることはしないが、しかし、苦しみに耐える糧になる。
>この間の麹町中工藤先生が紹介してくれた日本財団の調査データ
ハルビンさん、面白いデータを教えて下さり、ありがとうございます。
日本だけずいぶんと数字が低いですね。確かに私の定義によれば、日本の18歳は大人度が高くなりますね(笑)。
これほど数字の開きが大きいとなると、これはただ日本国や日本の18歳のみに起因するのではなく、
前述の見解のような、社会(民族・文化等)により「大人」概念に違いがあることにも起因しているのではなかろうか。
「大人」や「子供」の意味がよくわからなくなってきました。
国境と同じように人が恣意的に引いた境目に過ぎないのだから当然といえば当然か。
いやむしろ、「大人」陣営からすれば、境目がよくわからない状態のままにしておくのが得策なのかもしれない。
時と場面に応じて、子供に対し、「君はもう大人なのだから」とか「君はまだ子供なのだから」とか、都合良く使い分けられるように・・・
ハルビンさん、面白いデータを教えて下さり、ありがとうございます。
日本だけずいぶんと数字が低いですね。確かに私の定義によれば、日本の18歳は大人度が高くなりますね(笑)。
これほど数字の開きが大きいとなると、これはただ日本国や日本の18歳のみに起因するのではなく、
前述の見解のような、社会(民族・文化等)により「大人」概念に違いがあることにも起因しているのではなかろうか。
「大人」や「子供」の意味がよくわからなくなってきました。
国境と同じように人が恣意的に引いた境目に過ぎないのだから当然といえば当然か。
いやむしろ、「大人」陣営からすれば、境目がよくわからない状態のままにしておくのが得策なのかもしれない。
時と場面に応じて、子供に対し、「君はもう大人なのだから」とか「君はまだ子供なのだから」とか、都合良く使い分けられるように・・・
No title
>彼女の主張は、若者の士気を削いでいると思う
この論法、オラは自分では用いないよう戒めている。
「自分が」思っていることを 「みんなが」「誰かが」に置き換えるレトリックだ。
例えば 気に入らない奴に
「その性格 直した方がいいってみんな思っていると思うよ」という言い方をする人がいる。
→ そう思っているのは「貴方」だ。 貴方だけかもしれないし、実際みんなかもしれない。それはわからないが、「自分が」を「みんな」に置き換えてないでほしい。
ってな感じだ。
しかしこの論法便利なんでつい使いたくなる。
使いたくなる自分の心理と狡さを自覚したいものである。
この論法、オラは自分では用いないよう戒めている。
「自分が」思っていることを 「みんなが」「誰かが」に置き換えるレトリックだ。
例えば 気に入らない奴に
「その性格 直した方がいいってみんな思っていると思うよ」という言い方をする人がいる。
→ そう思っているのは「貴方」だ。 貴方だけかもしれないし、実際みんなかもしれない。それはわからないが、「自分が」を「みんな」に置き換えてないでほしい。
ってな感じだ。
しかしこの論法便利なんでつい使いたくなる。
使いたくなる自分の心理と狡さを自覚したいものである。
所詮世の中は感情で動く
ハルビンさん、どうも。
某大手広告代理店の件は、大企業(やや、やっかみも入る)、若い美人新人社員、が世間の感情を揺さぶったのでしょうね。同様に、グレタさんの発言がメディアで取り上げられるのも、15歳の少女が発信しているからでしょう。50歳のオッサンが、how dare you!と言っても、誰も相手にしません。地球環境に対する発言は、誰がしようが等価のはずですが、世間は感情で動くということです。メディアや一部の支持団体は勘定でしょうが。
大人と子供の境界については定義は難しい問題ですが、私は、自分が生きていくフィールドで正しく行動するために必要な知識を身に付ける事が、大人になるという事だと思っています。
某大手広告代理店の件は、大企業(やや、やっかみも入る)、若い美人新人社員、が世間の感情を揺さぶったのでしょうね。同様に、グレタさんの発言がメディアで取り上げられるのも、15歳の少女が発信しているからでしょう。50歳のオッサンが、how dare you!と言っても、誰も相手にしません。地球環境に対する発言は、誰がしようが等価のはずですが、世間は感情で動くということです。メディアや一部の支持団体は勘定でしょうが。
大人と子供の境界については定義は難しい問題ですが、私は、自分が生きていくフィールドで正しく行動するために必要な知識を身に付ける事が、大人になるという事だと思っています。