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大人は自分にとって都合のいい子供は好きである

大人はいつだって子供が大好きだ、と言う。
でも大人が好きな子供は、大人が許容している範囲でしか認められない子供、なのだ。

例えば大人は子供に「個性的であれ」と言う。「勉強を頑張れ」とも言うし、「もっとたくさん遊べ」とも言うだろう。
そして「自分の意見を持て」とも。

だが現実はどうか。
個性的な子供は「素直じゃない」、勉強を頑張っている受験生には「勉強ばかりして…」(特に中学受験)、遊んでいる子供は「遊んでないで勉強しなさい」。

では「自分の意見を持っている」子供はどうか?
この最適な試金石はグレタ・トゥーンベリにどう反応しているか、でしょう。
(グレタ・トゥーンベリってのは、ほら、ニューヨークの国連気候行動サミットで「私はあなたたち(大人たち)を絶対に許さない」とスピーチした16歳の女の子ですよ)


村西とおる氏(全裸監督)
スウェーデンの環境活動家のグレタ・トゥーンベリさん(16)が、裏切ったら許さない、のタンカ。この小娘のご託宣をありがたがっているムキがあるが、気は確かか。もし手前どもの娘なら大人に向かって口のきき方もわからないのか、と張り倒す。産業の発展により人類は飢餓や疫病から劇的に救われたのだ

竹田恒泰氏(旧皇族じゃないらしい)
お嬢ちゃまは、大人と子供の対立構造を作りたいようだ。大人にとって子供は宝物。愛する我が子の未来こそ大人の最大の関心ごとである。子供だから批判されてるんじゃない。お嬢ちゃまがやってることが間違ってる。

ベルナール・アルノー氏(「LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトン・グループ」の会長兼最高経営責任者)
彼女はダイナミックな少女だが、天変地異説にすっかり傾倒してしまっている。(中略)彼女の主張は、若者の士気を削いでいると思う。


まあネットをちょっと検索すれば、彼女を批判している書き込み、それも実名の書き込みが掃いて捨てるほど出てきます。
俺はグレタ氏を批判しようと擁護しようと、それ自体にはあまり興味がない。
それよりは、どういう言葉、ロジックで批判するのか(あるいは擁護するのか)、そこに興味があった。

で、こう思ったんですよ。
大人は自分に都合のいい意見を持つ子供は称賛するけど、自分に都合の悪い意見を持つ子供は毛嫌いする。

村西氏は「小娘」が「大人に向かって口のきき方もわからないのか」と「張り倒す」わけです。
産業の発展が過去にいいことをしたかどうかは、この話の論点ではありません。これから何が起きるのか、です。
それとも村西氏は、勲章をもらった人は何をしてもいいとお考えなのでしょうか。

竹田氏は「お嬢ちゃま」は「子供だから批判されてるんじゃない」、「お嬢ちゃまがやってることが間違ってる」。
では何がどう間違っているのか。ツイッターなので書き切れなかったんでしょうか。
「大人にとって子供は宝物。愛する我が子の未来こそ大人の最大の関心ごとである。」というアサッテな世迷言なぞ書かずに、間違っている理由を書けばいいのに。

アルノー氏も興味深い。「彼女の主張は、若者の士気を削いでいると思う」とは何でしょうか。
マドリードで数万人規模のデモが行われ、多くの若者が参加したとNHKでは報道されましたが、若者の…士気は…削がれている……?
まあ語尾に「思う」とあるから免罪してあげよう。ルイ ヴィトン笑

二酸化炭素排出が気候変動に影響を与えないというなら、その議論をすればいい。
それなのに「小娘」だとか「お嬢ちゃま」などと愚弄している大人のなんと醜いことか。
これが50歳ぐらいの白髪交じり、鼻髭を生やした学者然とした男が国連気候行動サミットで主張したなら、村西氏も竹田氏も「オッサン」だとか「ヒゲジジイ」とは言わないだろうねえ。

16歳の女の子が言ったからニュースになる。
そしてそのニュースがある種の鏡になる。

今回の教訓
・擁護派の書き込みは、真っ当過ぎてなんか面白くなかった。
・野口健(アルピニスト)の書き込みも面白かった。すぐ削除したので今回は紹介しなかったけれど。
(けどな、ケン。デジタルタトゥーは残るんやで)
・竹田恒泰という人物は興味深い。俺の主張と似ているところもあるけど、オリンピック選手に「発言指導」のツイートするなんて、いい年して間が抜けてるなあ。

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コメント

17歳の女子高生

時々俺が子供サイドに立った記事を書くのは、じつは俺が17歳の女子高生であることのひとつの証左である。

No title

以前 陸宿借さんが「社会は論理だけで動くわけではない。感情も時には大きな要素を占める。電通で自殺したのがただのオッサンだったら世の中は動かなかっただろう」といったようなことを書いていらっしゃった。

 グレタさんを見て最初に陸宿借さんのこの言を連想した。

ある一つの「大人」の定義

むかし読んだ本に、「大人」と「子供」の意味が書かれていた。
その本には、「その人が属する社会において身につけるべきとされている規範を身につけた者」が「大人」であり、それを身につけていない者が「子供」であると書かれていた。
またその本には、民族・文化等が異なれば身につけるべきとされる規範も異なるから、ある社会においては大人とされる者も、他の社会の大人からは子供じみて見えることがあるとも書かれていた。

以下は、上記の見解を踏まえた私の意見。

子供の振る舞いが、その社会の規範に影響を与えない範囲にとどまると大人に受け止められているうちは、大人も鷹揚に構えるが、
子供の振る舞いが、その社会の規範に亀裂をもたらしかねないと大人に受け止められたとき、大人は規範の防衛にかかる。

大人が子供を批判するとき、そこから見えてくるのは、「批判された子供の振る舞いの良し悪し」ではなく、「批判した大人が抱いている規範観(大人観、子供観)」のほうなのかもしれない。

また、グレタさんが世界のあちこちで色んな「大人」から叩かれているのだとすると、彼女の振る舞いには、民族・文化等の違いを越えて通底する「大人」の規範を揺るがす何か(批判者にとってはそのように受け止められる何か)があるのかもしれない。

ある一つの「大人」の定義②

「大人」と「子供」の定義のことを書いていて一つ思い出した。
これは私が考案した定義なのだけれど、私がそう思っているだけで、誰かの受け売りかもしれない。

「大人」とは、自分のことをまだ子供だと思っている者であり、
「子供」とは、自分のことをもう大人だと思っている者である。

No title

 この間の麹町中工藤先生が紹介してくれた日本財団の調査データ

https://www.nippon-foundation.or.jp/who/news/pr/2019/20191130-38555.html

 これによると、日本の18歳は「自分は大人である」と答えた割合が諸外国に比べて極端に低い。

日本29%
韓国49%
インド84%
中国90%
アメリカ78%

 しかし甘えん坊将軍さんの定義に従えば、日本人は「大人」の割合が最も高くなる。

 なんだ日本人捨てたもんじゃないニャ

あれ? 「そういうことじゃない」?

No title

 テレビでイギリスのEU離脱問題をやっている。

 アホ息子と「国境」について話をした。
 日本にいると国境は意識しない。空港で「入管」を超えるだけだ。

 ヨーロッパを移動すると、車で、電車で、船で、歩いて、国境を越える。 日常だ。

 今度、アホ息子を連れてヨーロッパで国境というものを超えてみよう。国境を意識するのも大事かもしれない。「バカバカしい」と思うか「大事」だと思うか・・・

 やっぱり昔「東側」に行くときは嫌な感じがした。
 「もう帰ってこられないかも」と言ったざわざわした感じがするのだ。  戻ってきた時の安堵感は忘れられない。

 「じゃあいかなきゃいいじゃん」

 正論である。その通りだ。
 オラは絶対行かないが、今 北朝鮮とかに行けばそんな感じだと思う。

大人になんかなりたくない

子供とは、しばしば大人になりたいと思う者であり、
大人とは、時折子供にかえりたいとこぼす者である。

ちなみに俺は、「お前は子供やなあ!」とよく言われます。

誇りはしないが糧になる

> 「じゃあいかなきゃいいじゃん」
> 正論である。その通りだ。

仰るとおりである。
しかしハルビンさんもわかっている通り、行ったら行ったなりのものが、人生にはついてくる。
それを誇ることはしないが、しかし、苦しみに耐える糧になる。

>この間の麹町中工藤先生が紹介してくれた日本財団の調査データ

ハルビンさん、面白いデータを教えて下さり、ありがとうございます。
日本だけずいぶんと数字が低いですね。確かに私の定義によれば、日本の18歳は大人度が高くなりますね(笑)。

これほど数字の開きが大きいとなると、これはただ日本国や日本の18歳のみに起因するのではなく、
前述の見解のような、社会(民族・文化等)により「大人」概念に違いがあることにも起因しているのではなかろうか。

「大人」や「子供」の意味がよくわからなくなってきました。
国境と同じように人が恣意的に引いた境目に過ぎないのだから当然といえば当然か。

いやむしろ、「大人」陣営からすれば、境目がよくわからない状態のままにしておくのが得策なのかもしれない。
時と場面に応じて、子供に対し、「君はもう大人なのだから」とか「君はまだ子供なのだから」とか、都合良く使い分けられるように・・・

No title

>彼女の主張は、若者の士気を削いでいると思う

この論法、オラは自分では用いないよう戒めている。 
 「自分が」思っていることを 「みんなが」「誰かが」に置き換えるレトリックだ。

例えば 気に入らない奴に
 「その性格 直した方がいいってみんな思っていると思うよ」という言い方をする人がいる。

→ そう思っているのは「貴方」だ。 貴方だけかもしれないし、実際みんなかもしれない。それはわからないが、「自分が」を「みんな」に置き換えてないでほしい。

 ってな感じだ。

 しかしこの論法便利なんでつい使いたくなる。

 使いたくなる自分の心理と狡さを自覚したいものである。

所詮世の中は感情で動く

ハルビンさん、どうも。

某大手広告代理店の件は、大企業(やや、やっかみも入る)、若い美人新人社員、が世間の感情を揺さぶったのでしょうね。同様に、グレタさんの発言がメディアで取り上げられるのも、15歳の少女が発信しているからでしょう。50歳のオッサンが、how dare you!と言っても、誰も相手にしません。地球環境に対する発言は、誰がしようが等価のはずですが、世間は感情で動くということです。メディアや一部の支持団体は勘定でしょうが。

大人と子供の境界については定義は難しい問題ですが、私は、自分が生きていくフィールドで正しく行動するために必要な知識を身に付ける事が、大人になるという事だと思っています。

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ジャーナル・ギャップ

Author:ジャーナル・ギャップ
酒と野球とミステリーをこよなく愛するが、なんの因果か中学受験についていろいろ書いていくことに。

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