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教えとトンカツとステキな恋の忘れ方

昔『美味しんぼ』という漫画を読んでいたとき、次のような台詞に出会った。

 いいかい学生さん、
 トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。
 それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ。


美味しんぼ


いい言葉だ。
人間の贅沢の幅を示す、絶妙な基準だと思う。

俺もかくありたい。
子供たちに残す資産は贅ではなく、「教え」なのだと。
「児孫のために美田を買わず」なのさ。
とは言え、残したくとも残せる美田はなく、それどころか「俺の老後は君たちの手中にあるからな、ヨロシク」などと言いだす始末。

さて、「児孫のために美田を買わず」について間違えていたこと二点。
一つは中国の古い諺かと思っていたら、どうやら西郷隆盛がどこかに書き残していた家訓(のようなもの)らしい。
たかだか150年前か。150年前を「古い」と言わないのは、伝統国のなせる業よ。フォフォフォフォ。

そしてもう一つ。
これは子孫に財産を残すと碌なことにならない、という意味ではなく、子孫に財産を残すために私利私欲に走るな、ということらしい。
俺の場合は、子孫に財産を残すためでないからいいのだ。違うか。

さて先ほど「教育」ではなく「教え」などと書いたのは、教育という言葉がもつプラグマティズムを排除したかったから。
中学受験や大学受験や、社会に出てから役立つこと、というものではなく、いつの間にか沁みついて、その人間の行動規範となっている、ある種の呪いというものがある。
それが「教え」だ。

古い学校には(特に異動のない私立学校には)、こういう呪いの使い手が多い。
こうした手練れの教師に教わった者たちは、ベルサイユ条約の成立年は忘れても、三方に伸びた三人の人間の怨念の落としどころを無意識に測ったりする。

教えの刻印は消そうと思っても消えない。
かつて井上陽水は『ステキな恋の忘れ方』の中でこう書いた。

 あなたに聞いてみたいのは
 ステキな恋の忘れ方
 それとも愛はこの胸に刻まれたの?


大学名に拘った受験校選びもいいが、入るからには「教え」の期待を学校にしてもいいと思う。
ステキな恋の忘れ方は、学校では教えてくれないだろうが。

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コメント

トンカツ

いつでも食べるには、経済状態よりも、健康状態やシルエットが気になるお年頃になって参りました。

No title

 ロピアで 豚ヒレ肉を買うと、その安さに驚く。
 ロピアで買って自分で揚げる分には庶民でも毎日食べられる。(おそらく一食200円から300円くらいでたんまり食える)

 昔はヒレ肉というのは贅沢品だった。

 流通の進歩というのはすごいね

※その一方 魚は高い。
 ちょっとした魚でもすぐ五百円とかする。家族四人なら2000円である。
 安く、と思うとどんどん肉食が進む

 そのうち「学生さん、いつでもサンマを食べられるようになりな。」ってなるんでないの?

この週末はゴルフをし、カツカレーを食べた。

ハルビンさんはよくご存じであろうが、ゴルフ場のレストランにはだいたいカツカレーがある(俺調べ)。私はいつも何を食べようかと迷った末にカツカレーを注文してしまう。

カツカレーを食べてゴルフができるうちは幸せだ、と思うこととしよう。

No title

>カツカレーを食べてゴルフができるうちは幸せだ、と思うこととしよう。

オラは知っている。

 カツカレーだけでなく「生ビール」を注文したことを。 ひょっとしたら「大ジョッキ」かもしれない。

 今日は天気が良かった。
 晴天のもと、ゴルフをしてカツカレーを食べてビールを飲む。
 世の中にこれに勝る贅沢、 これ以上の幸せがあるだろうか。

「学生さん・・・(以下略)」」

>カツカレーだけでなく「生ビール」を注文したことを。 ひょっとしたら「大ジョッキ」かもしれない。

……すみません。熱燗もいただきました。
冬には冬なりの趣がありますね。

母校の現代国語の授業は最高に面白かった。
ほかの学校の授業と比べたことがないからわからないけれど、高校の現国は少なくとも大学の授業よりも面白かった。

高校三年間に受け続けた現国の授業が、私の世界観を決定づけた。
先生は物事を見る視点を縦横に動かした。その視点は時代を超え、文化を超え、民族を超え、言語を超えた。
私は自らの羅針盤となるべき教えを現国の先生から学んだといってよい。

振り返るに恐ろしいのは、私がそのような素晴らしい先生に出会ったのは完全に幸運であったということである。
そのような先生がいることを知り、その先生に教えてもらえると思って入学したわけではない(中学入試や高校入試なんてみんなそうだろう。そもそも私は科目としての国語は好きではないので、そのような期待をするはずもない)。
入学したらたまたまその先生に出会っただけである。

私はこう思う。
人生は運である。ただ、完全に運まかせだとも思わない。
素晴らしき教え(先生)に出会う運の度合いは、ステキな恋に出会う運のそれと同じくらいなのではなかろうか。

レシーバーに委ねられる

>振り返るに恐ろしいのは、私がそのような素晴らしい先生に出会ったのは完全に幸運であったということである。

俺はこう思います。
甘えん坊将軍さんがその先生と出会ったのは、「偶然」です。
しかしそれを「幸運」にしたのは、甘えん坊将軍さん自身なのではないかと。

どれ程優れた教えであろうと、レシーバーの性能・感覚に委ねられてしまうものです。
その出会いを「素晴らしい」ものにしたのは、甘えん坊将軍さんのアンテナがあってのことだと思いますよ。

同じ言葉を同じ瞬間に聞いても、同じことが伝わるとは限らないのですよ、モナミ。
~エルキュール・ポアロ

サンバのステップで恋カツした日々

 若い頃は、浅草で踊っては“元祖焼きカツ桃タロー”で上焼きカツ定食など食しておりましたが・・・最近はお魚中心の食事が多くなりました。会社帰りに近所のスーパーに寄ると丁度お魚の値引きが始まります。刺身等はその日のうちに海鮮丼、しらす干しや釜揚げ桜エビは弁当のチャーハン、切り身は液体味噌や塩麹漬けにして翌日まとめて焼いています。昨日は白鶴大吟醸生酒が499円でしたので久々に日本酒ロックをいただきました。アテはサワラの味噌漬けと酢蓮です。

>どれ程優れた教えであろうと、レシーバーの性能・感覚に委ねられてしまうものです。
その出会いを「素晴らしい」ものにしたのは、甘えん坊将軍さんのアンテナがあってのことだと思いますよ。
→私もそう思います。新人研修の後にちょっとした感想を書いていただくのですが、同じことを同じように教えても人によって受け取り方が全く違います。「新しい事を教えてもらう度にどんどん仕事が出来るようになって楽しかった。」という方もいらっしゃれば「端末の操作が難しくてなかなか覚えられませんでした。」という方もおられます。通常は1人で5~6人の新人さんを教えるのですが繁忙期は13人前後の新人さんが割り振られてきます。半数が後者だった場合、終日あちこちで同時多発テロが勃発いたしますのでめちゃめちゃ大変です(´д`|||)

高校時代に私のアンテナがうまく機能したのだとしたら、それは大変ありがたいことです。
私の同級生たちも皆それぞれのアンテナを張って、色んな先生や友人たちから教えを体得したのだろうと思います。

歳を重ねてアンテナが錆び付いてきてしまっている気がします。定期的に錆取りをしなければなりません。

No title

昨日、たまたま津田沼で電車を乗り換えた。
 津田沼といえば 東邦大東邦だ。日大だ。
 そういう学校に用があったわけではなく単に乗り換えただけだ。

 寒いので駅ナカで電車を待っていたらなんぞお惣菜が売っている。 そういえば夕食何も作ってなかった、と気づき、トンカツを買った。

 駅ナカに惣菜屋があるのは便利だニャ。
(お店からすれば 思う壺、かもしれんが)

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ジャーナル・ギャップ

Author:ジャーナル・ギャップ
酒と野球とミステリーをこよなく愛するが、なんの因果か中学受験についていろいろ書いていくことに。

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