FC2ブログ

記事一覧

日本中の懐風館予備軍に告ぐ~こういうことを教えたっていいんだぜ

「ひのき坂」さんからの問題提起を受けて、あまり頭が良くない学校の教育に関して考えてみようと思います。
本来であれば「自由」という側面から見るべきなのかもしれませんが、さすがにそこは難しいので、わかりやすい「規律」から考えてみました。

***************************

偏差値の低い学校は偏差値の高い学校よりも、身だしなみや頭髪、集団生活における規律が必要なのだろうか。
無論保護者がそれを望んでいるという理屈は成り立つ。
頭は決して良くないから、せめて集団生活をちゃんと営むことができる人間になってくれ、というニーズはわかりやすいし妥当かもしれない。

だが、ここでいう集団生活の正体はなんだ?
「ルールだから守る」という行動様式は、そのまま昭和世代の使い捨て人材じゃないか。
そういうことがお望みならば、もう俺は何も言わない
その都度その都度、自分勝手に変更される「ルール」とやらに翻弄されたいなら、好きにすればいい。
(そもそも社会におけるルールなんて、偉い人のマイルールだったりすることの方が多いからな)

だがこれだけ将来に対する不安要素が膨れ上がっている(ように見える)現代において、勉強ができないからと言って、我が子をひと昔まえですら「つっかえねー」と言われるような人間にしたいというのは、いささか倒錯している。
じゃあ偏差値が低い学校の教育はどうしたらいいのか?

1月にたくさん雪が降った日があったよな。あれから1週間ぐらいたった日の午後。
俺は仕事で都内郊外の某駅前にいた。
コンビニで熱いコーヒーを買って外に出ると、男子生徒3人がガラス壁にもたれていた。
3人とも自前の髪の色じゃなかった。1人はなぜか私服(ジャージ?)だった。

するとそのうちの一人が、ひょいと歩き出した。歩く先には白杖を持った爺さんがいる。他の二人もそいつの後をだらだらと追っていく。
最初の学生が爺さんに腕を掴ませている。駅に行くので俺もついていった。
会話が少し聞こえる。
「今日も寒いよ、明日もきっと寒いよ」
「まだ雪残ってるし」
「電車乗るの?目見えないのに?」
「滑ったらまずいでしょ」
「歳はとってるけどまだ大丈夫」
「いや、まずいよ。俺この間滑ったもん」
「ふはははは」

この3人の偏差値はわからない。もしかすると日比谷や開成かもしれない。
しかし目の見えない者にとって、この3人の髪の色はどうでもいいし、制服の着こなしもまたどうでもいい。何しろ1人はジャージだ。
あの爺さんにとっては気のいい3人の若者で、おそらくこの後誰かに会ったら、「こんなことをしてもらったよ」と話すに違いない。
ことによったらあの3人は筋金入りの悪党で、たまたま「善人のフリをする週間」にあたっていただけかもしれないが、それだって構わない。

ある種の高校生に、服装のコードを守らせたり、髪の毛の色を黒に統一させたり、上意下達を集団生活の規律だと信じ込ませたりするのは難しい。
それらは時に、彼らにとって卑怯に映るし、アイデンティティを損なうことにもつながる。
それよりも「弱きものを助けよ」、こちらの方が彼らには親和性がある。弱者を助けることは彼らにとって恥ずかしいことかもしれないが、卑怯なことではないし、アイデンティティが損なわれることでもない。

いま我々の社会には弱者がたくさんいる。
いまそうではない者も、いつかそうなるかも知れない。
そうした社会において、弱きものを助ける、その一歩を踏み出せる人間の方が、誰のためなのかわからいルールを「ルールだから守る」などと思考停止している人間よりもずっと有益だ。

問題があるとすれば、こうした「非認知能力」を身につけさせる教育というのは、なかなか難しいという事だろう。
「忍耐力」「共感力」「行動力」…こういった力を身につけさせるには、迂遠かもしれないが、教師自らがそれを日常生活で実践し続けるしかない。
しかし学校の中にだって、たくさんの「弱きもの」がいるんだから、実践には事欠かない筈だ。

……まさか率先してその「弱きもの」を苛めてるんじゃあるまいね?

にほんブログ村 受験ブログ 中学受験情報へ
にほんブログ村

スポンサーサイト



コメント

自由って怖い

話がズレてしまってスミマセン。

自由にはリスクがともないます。それでも子供には自由に育ってほしいです。でもそれは「ある程度まで」の話?? じゃ「ある程度」を決めるのは親の自由?義務?

少し前に、関西の甲陽学院出身の今村元西宮市長が話題になりました。「学生の時、ある密室の鍵を盗んで隠れてタバコをすってた」話です。先生も、これを知りながら、しばらくは黙認しつつ、機を見て対応して解決したようです。こんな環境が、今村さんにとって心地よかった様子(内容が間違っていたらすみません)
私は、息子に「こんな自由な学校」に通って欲しいと思っています。しかし、一方で「こんな学校はやめといた方が・・」と思う気持ちもあります。
上述のように解決できる学校だったらいいけど、そうとも限らない。もしかしたらタバコなんかは当たり前の雰囲気で、そのうち「オレ覚醒剤仕入れたぜ。やってみようぜ」ってなちゃうかもしれない。覚醒剤はおおげさかもしれませんが、「タバコは少しくらいならいいけど、覚醒剤はダメ」なんて、中高校生が判断できないかも。ノリでなんでもやっちゃうかも。まだ早すぎる・・・
昔は学生時代に隠れてタバコなんか当たり前だったようです。私の父も、学校で隠れてタバコすってて、先生が父の親(私のじいちゃん)に厳重注意したら、じいちゃんは父に「お前、次からタバコすう時は隠れて吸えよ」といったそう。中学生のとき、親からこの話を聞いて、何か良い話に聞こえました。私もこんな親になりたいなぁ、とおぼろげながら思っていました。
さて、私は、本当に自由のリスクも考えながら、息子に同じことができるか・・・

私の知人女性は、自称「肉食女子」。イケメン探しに毎週クラブに通っていました。「自分に素直に生きたい」が彼女のポリシー。結局、何十人もに思いっきり遊ばれ、ときには金まで奪われたあげく、しばらくは泣いていることもありました。でも、またイケメンを見ると・・・
いつか何か学ぶのかもしれないし、それがそもそも彼女の楽しい人生なのかもしれない。それを決めるのも本人の自由、と、他人なら思える。
でも、自分の娘が毎週クラブいって朝帰りして、違う男を家に連れて部屋にこもっていたら、私はどう対処するんだろう。「お前、こういうのは、親が見えないところでやれ」って言えるのか?

今まで、私の人生にもいろんな自由があって、それはすべてリスクだったと思います。一歩間違えたら取り返しのつかないこともあり、ゾッとする瞬間もあります。でも、その経験を通じて、今の価値観を得たのも事実。
どんな人生を歩みたいか、子供をどんな価値観で育てたいか、そのために自由をどう活用するか、ほんと人それぞれだと思います。自分はいまさら自由を満喫していきたいけど、子供を考えるとあーこわい。

No title

共感力、忍耐力、困っている人が居たら手を差し伸べる。社会生活を送る上で、そういう能力が、紙の色を統一するよりも重要であることは私も賛成です。
問題は、それをどうやって学校教育において修得させるかでしょう。私は、公立学校という場でそれを実現するのは非常に困難だと思っています。
最近、道徳を通知表で評価する教科にするという件が話題になっていますが、座学で本を読んで、あなたの意見を書きなさい、で全員が道徳的な人間に育つなら苦労はありません。世の中から犯罪などとっくに消えているはずです。
普通の公立学校は、集団指導のなかで知識や技術や規範を習得させるには効果が期待できると思いますが、一人一人の個性や抱えている問題に応じた、非認知的能力獲得の指導は無理でしょう。それは個別指導の範疇だと思います。
ジャーナル・ギャップさんのような方を専門職として、一校当たり何人か配置して放課後に指導するか、あるいは普通の学校でなく、日中からボランティア活動をしたり、グループ学習をしたりして、活動の中で、助け合いへの感謝とか、感謝される喜びを学んでいくような学校を公立で作るとか。
そういうアイデアに共感する人はいても、結局は予算不足とか、高校の履修科目の枠などを超えられないのでしょうね。
ジャーナル・ギャップさんの理想主義に比べて、現実的でつまらない話でごめんなさい。

頭いい子の自由

昔から学生さんにはある程度の非行は許された。

麻布の子が
タバコ?酒? 全然OK
近くの畑から野菜を引っこ抜いて闇鍋。 OK

JGの子とエッチ? う〜ん 私は許すけど相手の親はどうかなあ?  

 覚せい剤 万引き ・・ これはいくら頭良くても許せん。

 しかし前半の「許せる」ものでも「麻布」ではなく「工業高校」だと 途端に許せるかどうかわからなくなる。

 オラには よーわからん

No title

ハルビンカフェさんの書き込みに関連して、身も蓋もない話を。
同じ茶髪でも、周囲の目はその属性によって異なりますよね。麻布なら許されて、とある実業系の高校なら許されない。”許す許さない”という言葉は不適切かも知れないので言葉を変えると、麻布の子が茶髪にしていたら、個性、と表されるものが、実業系の高校の子が同じことをしても、それは個性ではなく、属性の一部であると見做される。そういうことは実際問題として有ると思うのです。
戦前の、旧制高校、旧制中学の生徒が、少々のことが許されたのも、彼らはエリートであるという前提が有ってのことでしょうね。もっとも、その頃は庶民には情報発信能力など無かったでしょうから、本当に許されていたのかどうかは、藪の中です。

Re: 自由って怖い

自由って怖いですよね。
さすがに人類が長い時間と数多の犠牲の果てに掴んだ「概念」だけのことはあります。
教育の自由、自由をめぐる教育に関しては、また別の機会に書こうと思います。

Re: No title

ひのき坂さんが感じるように、非認知能力(ある種のしつけ)を高校の現場で身につけさせるのは、なかなか難しいと思います。
しかしそれは「身につけさせなくてはいけない」「どれくらい身についているか調査・評価しなくてなはらない」という縛りから、教える人間が脱出しなくちゃいけないのだろうと思います。
もし調査・評価するなら、それこそ規律が一つ増えるだけです。
それも圧倒的につまらない規律が増えるだけです。

あ~、書いてて本当になりそうで憂鬱になる。

Re: 頭いい子の自由

何故かこういう話になると「麻布」はしっくりきますが、「駒東」はしっくりきません。
駒東の「タバコ」「酒」「近くの畑から野菜を引っこ抜いて闇鍋」は、職員会議で深刻な先生たちの眉間に皺、というシチュエーションしか思い浮かびません。
駒東が少しかわいそうになってきました。

難しぃ・・・

>「身につけさせなくてはいけない」「どれくらい身についているか調査・評価しなくてなはらない」という縛りから、教える人間が脱出しなくちゃいけない

「世間的に良いと思われる行為を強制もしない、悪いと思われる行為を禁止もしない・・・
なんとなく、自然とそうする空気を教師が醸し出す・・・」
こんな教育方針をつくったら、逆にどこかの学校のような「うちの学校は、禁止してないけど短いスカートはいない」みたいな短絡的な話にはならないですかねぇ。

自分が高校生の時、アメリカの高校生をドラマで見て服装の自由さに驚きました。
自分の高校も私服でのんびりした学校だったけど、女子の大人っぽい服や男子のカジュアルすぎる服、ましてやアクセサリーなんかつけてたら先生から注意されるのは確実だし、近所中の噂になるのは明らかでした。

個人的な考えですが、すべての人間の尊厳を認め尊重するということが自由という概念の前提になっていると思います。
しかし、自由という概念は人間の本能や欲望とも深く結びついていると思います。それゆえ自由が抑圧された状況だと新たな発展や発達は停滞したり偏向したりするけど、逆に自由の運用を間違えると行き着く先は力まかせの弱肉強食になりかねません。
したがって上手く運用するには経験と教育(学校だけでなく)が必要なのでしょう。
自由を任されたことに責任とプライドを持ち、弱肉強食はヤバイぞ、とか自分の自由と同等に相手の自由も尊重できるような教育が可能であれば欲望に結びついた自由に溺れる危険を避けられるのではないかと思います。
もちろんこれらの経験を積むには、失敗のリスクもあるし、教育については、(する方が)けっこう手間がかかる上に学校だけでは身につかないことも多いでしょう。
それを考えると、もしかしたら学校による属性というのは、学校の教育理念の他に家庭と保護者の価値観や生活環境をある程度示しているのかもしれませんね。
大人たちの覚悟を問われているような気がします。
by白鳥座
(かつての知り合いの方へ。こういうのを書くのは久しぶりなので、落ち着くまでHN変えます。)

Re: 難しぃ・・・

それでもいいと思います。
スカートを短くしないことは教育とはあまり関係ないでしょうが、弱きものを助ける精神は教育のひとつと考えていいでしょうから。
上の顔色を窺ってだろうが何だろうが、困っている人間に手を差し伸べることに異議をさしはさむ気はありません。

No title

ありがとうございます。
私が勘違いしてました。
悪いことを禁止するより、良さそうなことを体験する機会を増やす、というイメージに受け取りました。
しかも、短絡的な見返り(評価など)を求めるのではなく、人間に本来そなわっているであろう人間の良いDNAを覚ます場を与える感じですかね。

Re: タイトルなし

自由に関する教育について語ることの難しさのひとつは、日本の教育現場で論じられている「自由」があまりに薄っぺらい、ということがあるように思えます。
スカートの長さだとか、ピアスの穴だとか、髪の色だとか、結局ファッションを規制することが「教育」にすり替わったり、あるいはそれらを許可することが「自由である」という言説に繋がったり。
もうね、そんなことどうでもいいだろう、と。

中等教育の本質から言えば、生徒一人一人に無制限の自由を与えて、自分の一存で発露できる自由と、誰かと話し合って出すかどうか決める自由、そして自ら自由を縛ること、そうしたことを決めさせて実践させればいいのに、と思います。
それは難しいことかもしれないけど、こういうことは自分で決めて自分で失敗しないとわからんでしょう。
テキストを読んで、なるほど自由とはこういうことか、なんて分かったようなつもりになってる奴が、「自由には責任が付随する」なんて言うんです。
たかが中学生・高校生の考える自由ですから、責任も何もありません。自由を与えるサイドが責任取りたくなくて使ってる常套句です。
「こう言えば責任の面倒くささから自由を遠ざけるだろう」という魂胆が透けていますが、その魂胆通り、多くの人は「じゃあいいや」となるわけですが。

それにしてもデイドリームビリーバーさん(旧名白鳥座さん)と、こんな真面目な話をするとは思いませんでしたよ。
また今度、酒のあての話などひとしきり。

No title

息子に「明日から自由をあげる。好きなことなんでもしていいよ。ところで何したい?」って聞いたら、間違いなく「スマホとゲームを無制限にやりたい」と言うと思います。
「やってみたら」と言えない私。
普段、口では「お前はもっと失敗や悪いことしたら。お父さんは、お前には言えない悪いことたくさんしてきたでぇ」とか(妻には内緒で)偉そうにいいつつ、スマホとかはルールつくっちゃってる。
「依存しちゃう系は高校くらいまではルールが必要かも」が私の言い訳ですが。
ほんと、自由って怖い、ギャンブルな要素が多いと思います。成功したときのリターンは無限大ですが、失敗するリスクが。

Re: No title

> ほんと、自由って怖い、ギャンブルな要素が多いと思います。成功したときのリターンは無限大ですが、失敗するリスクが。

全くそうだと思います。
この「怖さ」をどれだけ皮膚でピリピリ感じられるか、それが次のステップでしょう。

俺の知り合いは子供が高校に上がるや否やスマホを解禁にし、やり放題にしました。
代わりに週1冊、リラダン、スタンダール、トルストイ、ディケンズ、まあそういったヨーロッパ文学を読む約束をさせましてね。
高3の秋に子供から「お父さん、受験勉強に専念したいから本を読まなくてもいいか?」と言われるまで続いたから、随分読んだはずだ。

この知り合い曰く、「古典文学を読んでれば何かの役に立つだろ」。怖いぐらいの無定見です。
あるいはこのぐらいの怖いもの知らずの方が、ちょうどいいのかもしれませんが。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ジャーナル・ギャップ

Author:ジャーナル・ギャップ
酒と野球とミステリーをこよなく愛するが、なんの因果か中学受験についていろいろ書いていくことに。

最新コメント

最新コメント