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ロジカルと人の心のはざま~何が言いたいのさっぱりかわからない

さて、今回は「どうしてロジカルな人のほうが、人の心がわかるのか?」というブログを俎上に乗せましょう。
ブログ主は横山信弘氏。肩書に「経営コンサルタント」とあるので、なにやら俺と同じような匂いがしないでもない。

さて、このタイトルから俺は「ロジカルな人だろうと何だろうと、人の心なんてわかるのかねえ」と疑問をもって読み始めたのだが、結論から言うと、俺はこの人に何かを頼む気にはなれなかったな。

まず横山氏は「ロジカルな人」と「ロジカル風な人」とを分ける。
人が「理屈でものを言う人は、上から目線だからニガテ」「人はロジックでは動かない。ロジカルシンキングばかり勉強している人は、人間の大事な部分をわかってない」と思ってしまうのは、相手が「ロジカルな人」ではなくて「ロジカル風な人」なのだ、と話をすすめます。

そして「ロジカル風な人」の代表例として、次のようなビジネスシーンの対話を出します。

A:「売上が上がらないから、キャンペーンをやったほうがいい」
B:「どうして」
A:「過去に、キャンペーンをやって業績が回復したことがある」
B:「何を言ってるかわからない。問題の捉え方がおかしいから、解決策もおかしくなる」
A:「はあ?」
B:「まず手順として、売上が上がらない問題を正しく特定することが先だ。そして問題を特定してから真因を探り、解決策を練る」
A:「実は、もう社長にキャンペーンをやるべきだと進言してしまった」
B:「結論ありきで考えるな。過去にうまくいったからとか、もう社長に言ったからとか、そんな理由でキャンペーンをやるだなんて、言い分は通らない」
A:「じゃあ、どうすればいいんだ。批判ばかりしやがって。お前は俺の苦労がわからないんだ。一度、俺の立場になってみろよ」
B:「そういう問題じゃないだろ。まいったな。これだから論理思考力がないヤツは困る。すぐに感情的になるんだから」

じゃあ「ロジカルな人」だったらどんな対話になるのか。横山氏が出す例はこんな対話です。

A:「売上が上がらないから、キャンペーンをやったほうがいい」
B:「どうして」
A:「過去に、キャンペーンをやって業績が回復したことがある」
B:「たしかに、そうかもしれないけど、他にも解決策があるかもしれないよ。でも、そういうわけにはいかないか」
A:「そうなんだ。俺の部署ができることって、何らかのキャンペーンをやることぐらいしかない」
B:「部長が好きだもんな。キャンペーンが」
A:「実は、もう社長にキャンペーンをやるべきだと進言してしまった」
B:「わかった。まずキャンペーンを成功させよう。成功させれば、部長や社長にも、別の施策を提案できるかもしれない」
A:「そうなんだ。まず俺が結果を出さないと、話を聞いてもらえない。企画部に異動してから、何も評価されてないから」
B:「俺も協力するよ」


ロジカルどこ行った?

キャンペーンをする前提ならそれでかまわない。そこにいちいちケチをつけるのは、確かにロジカルとは言わないだろう。
しかし最初に出てきた「B」の方が、次に出てきた「B」よりも、ロジックという点ではずっとマシだ。
2つ目に出てきた「B」は同僚としては優秀だろうし、組織の潤滑油としても必要だろうが、いま横山氏がしているのはそういう話題ではない。
「ロジカルかどうか」だ。

本来であれば、キャンペーンをやるのはいいとして、どういうキャンペーンをやるべきかをロジカルに考えるべきなのだ。
最初に出てきた「B」はそういう意味で、「キャンペーンをやる」という前提をひっくり返してくるので、人の心が読めないと横山氏は断を下している。
しかしそうなるともはやこのブログのタイトルの「どうしてロジカルな人のほうが、人の心がわかるのか?」がぐちゃぐちゃである。
何故なら次に出てくる「B」がまるでロジカルではないからだ。

ここで「正解」として2人目の「B」を出すのであれば、彼はキャンペーンの中身をロジカルに考えるべきなのだ。
「A」の気持ちをくんで、「俺も協力するよ」と言うのではなく。

しかしこの「A」も気味が悪い。
最初に「売上が上がらないから、キャンペーンをやったほうがいい」と宣言しておいて、その後がフラフラしている。
いったい「B」に何を求めているのか。「B」の批判に右往左往してみたり、キャンペーンをする責任を部長に押し付けてみたり。
キャンペーンをやりたいのか、やりたくないのにやる羽目になったというのか。

それにしても「ロジック」という言葉をタイトルで主張して、ここまで「ロジック」に関係ないブログ記事も珍しい。

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コメント

記事を拝読して思うところを二つばかり。

まず、この氏の話のタイトルは、「人の心がわかるのか?」よりも「人を動かせるのか?」にしたほうがよいような気がする。
私もJGさんと同様に「ロジカルな人だろうと何だろうと、人の心なんてわかるのかねえ」と疑問を持っている。

私以外の人間がどういう風に考えて他人と接しているのか私にはわからないが、人は無意識に「他人も自分と同じような心を持っている」という仮説を立てて他人と接している(そして他人と接する過程において、その仮説を少しずつ修正していく)のではあるまいか。
ここにおいては「ロジカルかどうか」は大した影響を持たないような気がする。

ふと思い出したけれど、高校の国語で取り扱った本の中に、次のようなことが書いてあった。

人間は、どこまでいっても自己中心性を脱することができない。
相手の立場に立って物事を考えないのは自己中心的である。
相手の立場に自分を置いて物事を考えるのは、上記の意味における自己中心性は脱しているが、相手の立場に「自分」を置いているという点で、自己中心性を完全には脱していない。
相手の立場に「相手」を置いて物事を考えることができてはじめて自己中心性を完全に脱することができるが、これは人間には不可能である。

つぎに、「人を動かせるのか?」を主題にするとして、私は、説得術はロジック(論理)のみが鍵となるわけではないと考えている。ロジックと少なくとも同程度にレトリック(修辞技法)が大事であると考えている。

私も最初に出てきた「B」の方がロジックの点ではマシだと思う。最初に登場した「B」に足りないのは、ロジックではなくレトリックだと思う。
同じ内容を他人に伝えるのにも、話す順序、語尾などの言い回し、比喩の使用、ユーモアの挿入など話法における工夫は大いにありえ、時として、また相手により、ロジックよりもレトリックを駆使したほうが説得的効果が強い場合もあろう。
(私が書いた以上の文章も、「ですます調」にして語尾を調整すると、印象はまた変わると思います)

No title

 ロジカルでないオラとロジカルでない会社

 「売り物」があって、思うように売り上げが上がらない、というのはよくある。 よくあってはいけないのだろうけどよくある。

 すると「長」は対策に迫られる。
 その対策は 2種類ある。
「やったふり」と「本当にやる」の2種類である。

 なんか対策をしないといけないので「やったふり」というアリバイ作りの対策をすることは結構よくある。やったふりだけして 時流が変わるのを待つ。あるいは運が向いて来るのを待つのだ。

 結局 「売れないのはその売り物が悪い」のだから「その商品を売るのを諦めて方針転換する」が一番良かったりする。あるいは大きな利益を諦めて採算ギリギリに値段を下げるのだ。

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ジャーナル・ギャップ

Author:ジャーナル・ギャップ
酒と野球とミステリーをこよなく愛するが、なんの因果か中学受験についていろいろ書いていくことに。

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