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美しくスマートなケチのつけ方~さだまさし『前夜』

先月「数学は余りにも切れすぎる利刃なので」(2019/07/28)という記事の中で、ガツーンときたポップスの歌詞を何本か紹介しました。
(数学のタイトルなのにポップスの歌詞とはこれ如何に)

そこで紹介しきれなかったものをひとつ、今回は書いていこうと思います。
さだまさしの『前夜』(1982年)。アルバム『夢の轍』に収録された曲でシングルカットはされていない。
ちなみに日本裁判史上に残る問題曲『償い』もこのアルバムに収録されている。(この誤解を誘発するような書き方ときたら…)

さて『前夜』のお話。
前回紹介した歌詞が、次の3つ。

荒井由実(松任谷由実)の『あの日にかえりたい』(1975年)
中島みゆきの『誘惑』(1982年)
オフコースの『YES-NO』(1980年)

上記3曲が美しいメロディラインのヒット曲に対し、『前夜』はメロディこそは美しいが、いかにもなフォークソングで華やかな印象はない。また前述したようにシングルカットされていないので、多くの人が聞いた曲、というものではない。(でも、いい歌ですよ)
ガツーンときた歌詞は2番。ちょっと長いですが引用します。

今若者はみんなAMERICA それも西海岸に
憧れてると 雑誌のグラビアは嗤う
そういえば 友達はみんなAMERICA人になってゆく
いつかこの国は無くなるんじゃないかと問えば 君は笑う
馬鹿だね そんな風に自然に変わってく姿こそ
それこそ この国なのよ
さもなきゃ初めから ニッポンなんてなかったのよ
I'm all right  I'm all right
そうだね 嫌なこと すべて切り捨てて
こんなに 便利な世の中になったし


この歌詞の流れは3つあります。
まず主人公が、日本でのアメリカ文化の氾濫を憂います。
つぎに「君」が、変化こそが日本であると喝破します。
そして最後に主人公が、その意見を認めながらも、ちょっとケチをつけてます。
このケチのつけ方がスマートで美しい。

最近のさだまさしに、こうした言葉の魔術師を見ることができないのは、非常に残念です。

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コメント

合掌

『前夜』とてもいい曲ですね。
「そんな風に自然に変わってく姿こそ それこそ この国なのよ」
のあたりは加藤周一(雑種文化)や丸山眞男(通奏低音)の日本文化論を彷彿とさせます。
ネットで多くの人が指摘していましたが、この曲はおそらくポール・サイモンの“American Tune”を意識して書かれた曲なのでしょうね。
クラシックギターによる弾き語り、ささやくような声で自国の来し方、現在をメランコリックに歌い上げるところがそっくりです。“I'm  all right”は意図的な引用(オマージュ)なのでしょうね。
“American Tune”自体もまたバッハの『マタイ受難曲』のコラールを引用(旋律)しており、そのコラールも元々ハンス・レオ・ハスラーによる曲“Mein G'muth ist mir verwirret"なのだとか。
さださんが、他国の文化を輸入し続けてきた日本を歌うためにこの引用→引用の連鎖まで意識されたかまではわかりませんが、面白いつながりだと思いました。
JGさん、さださんの曲のご紹介ありがとうございました。

*本当はJGさんは『空缶と白鷺』について書きたかったのではないですか?終戦記念日を前に。
『前夜』に言及することにとどめたのが、JGさん流のスマートなケチのつけ方のように思いました。

ポール・サイモンはやっぱり上手いなあ

ポール・サイモンの“American Tune”は、脛に傷さんに言われるまでノーマークでした。
当然バッハの『マタイ受難曲』も意識外です。

『空缶と白鷺』は『前夜』を語るうえで必要なアンサーソングでですが、すこうし自意識が前に出過ぎていますな。
俺は「魂の叫び」よりも「トリッキーな技巧」の方が好きなんで。

35億の男

 子供たちに“35億の男”と言えばすぐにブルゾンちえみを人気芸人に押し上げた“キャリアウーマンネタ”を思い浮かべるのではないかと思います。

~以下ネタ抜粋~

味のしなくなったガムをいつまでも、いつまでも、噛み続けますか?

「・・・新しいガム、食べたくない?♡」

男はガムと一緒!

味がしなくなったら、また新しいガムを食べればいい!

・・・だって、地球上に男は何人いると思っているの?

「・・・35億。」(実際は約37億)

「・・・あと5000万人。」

 しかしながら、私にとって“35億の男”と言えばもうあの方しかいらっしゃらない『35億の借金を完済した男』・・・言わずと知れた“さだまさし様”でございます。

>最近のさだまさしに、こうした言葉の魔術師を見ることができないのは、非常に残念です。
→名曲と言われる曲やら名作と言われる文学作品やらをパクってパクってパクりまくり継ぎはぎしながら稼いで稼いで35億・・・アウトプットしきってしまったのではないでしょうか(笑)休養を兼ねてインプット&データ更新をしているのではないかと・・・そんな風に思っております。

各駅停車の檸檬色が

パクリ加減で言うと、「檸檬」は絶妙ですな。

>捨て去るときにはこうしてできるだけ
>遠くへ投げ上げるものよ

上の表現も良いですが、殊に「盗んだ檸檬」というのが俺の中二病心をくすぐりました。

キャリアウーマンが捨てたもの

>パクリ加減で言うと、「檸檬」は絶妙ですな。

 梶井がお茶の水の丸善に置いてきた『檸檬』を盗んだ女は『レモン哀歌』の智恵子が臨終間際にしたようにレモンを一口噛るのです。そして芥川の『蜜柑』に描かれた少女が最後に蜜柑を放り投げたように空高く檸檬を放り投げてみる。名作のラストシーンが物語の始まりを鮮やかに彩ります・・・

~レモン哀歌(抜粋)~
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ

 物語中盤から時折悲哀に満ちたオーボエの副旋律が顔をのぞかせ、お別れムードを盛り上げます・・・そして女は、味の無くなったガムをペッと吐き捨てるように、あっけなくひとつの恋を捨て、ズンチャズンチャと実に軽やかな足どりで立ち去って行くのでしたww

No title

檸檬には 2種類あることをご存知だろうか。

 「あの日 湯島聖堂の〜」
 と
 「夢ならばどれほどよかったでしょう
  未だにあなたのことを夢にみる」

 の2種類・・・・
 ではなく さだまさしの檸檬に2種類あるのだ。
「あの日 湯島聖堂の〜」 に2種類の歌詞があるのである。

 なんでそんなことを知っているかって?
 オラも 当時はよく聞いた。 実は嫌いではない。

 当時は 中学のクラス全員が音楽家族みたいなもんで 誰かがレコードを買えば クラス全員で共有した。 カセットに録音するのだ。 オフコース 中島みゆき さだまさし ・・・ クラス全員が同じような音楽を聴いていたのだ。

 当時 聖野菜祭 という曲が「放送禁止」になったという噂が流れた。  「キンタの大冒険」と同じ 放送禁止である。 今 ウイキをみると当たらずとも遠からずって感じだろうか。

※飛行船「遠野物語」という曲をご存知だろうか?
 昔 オラの田舎では大大大大大ヒットした。
 
 が、首都圏にきて、「知っている」という人を見たことがない。 

ハルビン・カフェ様

>飛行船「遠野物語」という曲をご存知だろうか?
→東北出身なので「遠野物語」は知っていますが、飛行船よりもあんべ光俊「一億の夜を越えて」と言われた方がピンと来ると思います。

 ちなみに私の年代だと、小説家“久美沙織”が大大大大大人気でした。首都圏でも同年代のコバルト文庫ファンならみんな知っている『丘の家のミッキー』の作者です。後輩のハルビン様が彼女については全く言及していなかったので、ちょっとだけケチをつけてみたくなりました(^^;

>昨年から続いてきた仕事が山場だ。
毎日毎日が修羅場である。
→気分転換に中央図書館の“個人研究室”を予約されてみてはいかがでしょうか?
研究室はもちろん隣接するドトールもめっちゃWi-Fiの繋がり良いですよ(^^)

懐かしいさだまさし

>さだまさしの檸檬に2種類あるのだ。

これは初耳。調べてみると2番の歌詞が違うのですね。
で、久しぶりにさだまさしを聞いていたら、そうだそうだ、俺は「絵はがき坂」が好きだったのだ、と思い出しました。

No title

>梶井がお茶の水の丸善に置いてきた『檸檬』

梶井が檸檬を置いてきたのはたしか京都の丸善だった気がします。閉店する前の河原町通り京都丸善の1階に『檸檬』コーナーがあったと記憶しております。

懐かしのターミナル駅

>梶井が檸檬を置いてきたのはたしか京都の丸善だった気がします
→ご指摘ありがとうございます。確かに梶井が檸檬を置いてきたのは京都の丸善です。さだマジックにハマり、いつの間にか御茶ノ水だと思い込んでしまっておりました(^^;
 上京したばかりの頃は、思い出の駅と言えば上野でしたが、首都圏住まいの方が長くなった今では子供と2人で通った御茶ノ水駅が懐かしく思い出されます。

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ジャーナル・ギャップ

Author:ジャーナル・ギャップ
酒と野球とミステリーをこよなく愛するが、なんの因果か中学受験についていろいろ書いていくことに。

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