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自称進学校とはどんな学校か?

ここ数年、ネットを中心に「自称進学校」という言葉が流行っている。
どちらかと言えば揶揄的に使われる言葉だ。
「自称進学校」とはどんな学校なのか、まとめるとこんな感じ。

●国立至上主義(但しせいぜい10名程度)。たとえ早慶レベルでも私立専願だと「なぜ国立を受けないんだ?」と教師から詰問される。

●朝の補習、昼の補習、放課後補習など補習によって生徒の勉強時間を作り出す。

●典型的な質より量。というより書き写しが勉強だと思っているフシも。

●校内で進研模試を受験。結果に一喜一憂し、成績が悪いと緊急学年集会が開かれる。

●塾や予備校に行くことを敵視する雰囲気がある。

●浪人する生徒は愛校心が足りないと非国民扱い。

●出題範囲が学校のワークからの校内模試で合否判定。

●英語の例文や古文白文がそのまま定期テストに出る。結局暗記ゲー。

●見栄張って、基礎がなってないうちからの発展問題演習。

●定期テストが出来なくて模試が出来る生徒は一段低く見られる。

●模試に模試がある。(な… 何を言っているのか わからねーと思うが…)

●校則がやたら厳しい。

●文系は地学1が履修出来ない。理系は数学3が最後まで終わらない。

ちょっと厳しいことを書くが、いわゆる「無能な頑張り屋」そのものである。
もし読者諸君がこのような学校に通っているなら、面従腹背の精神で己の学力を己自身で磨いてくれたまえ。


それにしても、模試の模試というのに興味があるな。

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コメント

模試対策

ちょっと違いますが、そういえば漫画 「二月の勝者」で模試対策、というのがありました。 模試の過去問をやる、というもの。

「模試の過去問やっても仕方ないんじゃ?」という意見もある中、やる。

おそらく模試でいい点を取ることで本人も親も自信がつく。悪くいえば舞い上がる。

階段を登っていたと思ったら いつのまにか降りていた

>「自称進学校」とはどんな学校なのか、まとめるとこんな感じ。・・・

これはなかなか厳しいですねぇ。
生徒の扱いがまるでマウスやパブロフの犬(実験動物)のようではないか。

学校が考えるインプットを生徒に施せば、学校が期待するアウトプットが生徒から引き出せるとでも信じているのかしら。

生徒が自ら思い思いにインプットをしアウトプットをするようにならないと、「階段を登っていたつもりが、実は降りていた」ということにナッチャウよ(アルシンド風)。

自称進学校=塾要らずの面倒見のいい学校、ということになるのでしょうか?

進学実績を上げれば良いのなら、上位層には塾でもなんでも自分のやりたいようにやることをサポートしてあげた方が実績上がりそう。

キング・オブ・自称

>自称進学校=塾要らずの面倒見のいい学校、ということになるのでしょうか?

う~ん、そういうわけでもないところが、この「自称進学校」の難しいところ。
勿論「自称進学校」というのもさまざまな学校があるので、「こうだ」というわけではないのですが、ネットで揶揄されているのは「面倒見がいい」ということではなく「いらぬおせっかい」というところなんじゃないかな、と。

結局のところ、生徒ひとりひとりに寄り添えている学校は、「自称進学校」なんて言われないのだと思います。
十把ひとからげに授業をして、黒板を「写経」させるような学校が、キング・オブ・自称、でしょうな。

都内ならさしずめ、あ、何をするッ、むぐぐぐ…

ちなみにネットの感覚では、この「自称進学校」は都内私立よりも地方公立の2番手校3番手校を指すことが多いです。
決して巣鴨や久我山のことじゃないからね!

No title

「宿題学校」ってありますよね。

 説明会に行くと「どれだけ勉強させるか」みたいな話に終始する。オラが説明会行った中にもあった。
(ある学校の説明会はすごかった。宿題や補習の話ばかりなのだ。「てめーら なんのかんの言っていい大学行かせたいんだろう? だったらうちに来な。徹底的に鍛えてやるぜ。中途半端はよくねー。」とオラには聞こえた。)

 もちろん、そういう学校を望む家庭もあるし、望んで行くなら問題ない。しかし、よく知らずに宿題学校に行くと悲劇だ。なんせ6年間も続くのだ。

 オラは学校はある程度放任で自由でええと思うけどニャ。勉強したければ自分でやる、あるいは塾で勉強すればいい。

 ガリ勉学校は避けたいが、サピみたいなスパルタ塾はいい。 その違いは・・・ 合わなければすぐやめられることかな。 子供だっていつもいつもモティベーションが高いわけではない。休みたい時もある、勉強したくなる時もある。6年は長い。

No title

もちろん、そういう学校を望む家庭もあるし、望んで行くなら問題ない。しかし、よく知らずに放任学校に行くと悲劇だ。なんせ6年間も続くのだ。

うちは覚悟して入ったけど、英単語、英短文、漢字、古文単語、文法、漢文句法、数Ⅲの計算問題などの小テストをまめにやってくれたらいいのになぁ、とちょっぴり思うことはありますね。ラ・サールなんかは週テストというのがあるようです。暗記物はテストがないとなかなか気合を入れて覚えませんからね。

語学の暗記

特に語学は暗記量がそのまま学力に相当することが多いからねえ。

脛に傷さんでも子供の勉強に悩み事はあるんですなあ。

 高校の頃、毎日、漢字と計算と英作文のテストがありました。90点以下だと、全問正解するまで居残りさせられました。
 愚息の英語の点数を見る度に、あの時の英作文のテキストを捨ててしまった事を後悔しております。

No title

 オラは「小テスト」「居残り補習」は肯定的である。 合格点とらないと部活にも行けない。帰れない。 いいじゃない。 どんどんやってほしい。

 否定的なのは「宿題」だ。
 毎日2時間~3時間分の宿題が出る、なんてのは尋常じゃないとオラは思う。

 勝手なことを言えば「宿題は1時間分以内。英語と数学 小テスト 補習あり」 そんな自称進学校があれば(入れてくれるなら)息子を入れたい。

「文系か理系か」早すぎる選択…受験科目に専念するため、大半が高1で決定 - 7/26 読売新聞オンライン
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6331304

このブログの読者には中高生のお子さんをお持ちの方が多数おられるのに、暴言を吐いてしまおうかな、どうしようかな・・・

「四の五の言わずに古文も漢文も数Ⅱも数Ⅲも物理も化学も歴史も地理も全部がっつり勉強すりゃあいいんだよ!!」

あわわわ・・・暴言吐いてしまった。あわわ・・・

No title

オラの考えでは・・・

<国立理系の場合>

●古文 漢文は基本的に捨てる。
 労力の割に点数に反映しないからだ。
 受験テクニックと、慣れ、「出そうな問題文の日本語訳をいっぱい読む」でなんとかする。
 
●社会は 頑張って上乗せする。
 オラは60点ほどだったが、可能なら70点を目指したい。

●数学 物理は センターは満点で当然。
  理科もう一教科は 95%。

●英語は重要。 頑張る。

 まあ、これでセンター 85%はいけるだろう。
 あとはどれだけ上乗せできるか・・

え? そんな話をしているんじゃない?
「全部 勉強しろ って話だ!」

あ、失礼しました。

※オラ、不思議と共通一次は実力以上に取れたんだよニャ 

No title

●古文 漢文は基本的に捨てる。
 労力の割に点数に反映しないからだ。

センターの古漢は勉強すれば得点は安定すると思います。
センターは国語が最も難しい(対策が必要)ですね。
2次の国語も捨てるわけにはいかないのですが、他教科で勉強すべき事があり過ぎてあまり対策する余裕はないみたいです。やってもやっても終わらない(キリがない)ように思えます。数学も英語も化学も。

クロコマさん、
某予備校でもらったデータです。ずいぶん昔のものですが、模試を受けないでもお子さんがご自分で学力をチェックする時の目安になると思います。ご参考までに。
理二、理三や文系、他大(医科歯科や早慶各学部)のデータもありますので、もしご興味があればまたコピペします。

合格者がセンターテストを高1、高2、高3で受けた時の得点平均データです。

上から順に高3(2016年センター)、高2(2015年センター)、高1(2014年センター)時の受験結果です。
   英語合計(200点に換算) 英語筆記 国語 数学ⅠA 数学ⅡB
理一 186.1 187.0 167.7  96.9 95.2
 174.7 176.1 117.1  90.0 86.3
    150.1 151.6 120.6  78.1 75.0

私にとって現代国語は運ゲー

私が「全部がっつり勉強すりゃいい」と言ったのは、「学校の仕組みとして、高1で文理分けし、受験と関係のない科目を早々に捨てちゃうのはいかがなものか」という個人的思いから出た暴言であり、個々人が自らの大学受験に際してどのような戦略をとるかは、ハルビンさんの考えのように古文漢文を捨てるもよし、もちろん各人の自由です。

私が捨てたのは現代国語ですが(勉強の仕方がわからない。湯島天神にお参りだけした)、脛に傷さんが「センターは国語が最も難しい」と仰った通り、私もセンターでの失点のほとんどが国語でした。苦もなく国語で高得点できる人がうらやましかったものです。

No title

 オラの場合 失点の大半は 古文、社会、英語 だった。現国 漢文は天から神様が降りてきてほぼ満点だった。
 
 まあ嫌いな教科が取れないのだ。当然だ。

 という話を長男としたら、「パパ 中学受験の時 苦手教科をなくせ、苦手教科ほど勉強しろ って言わなかったっけ? 自分はどーなのよ」

 うるさい。子育てとは自分を棚にあげることから始まるのだ。

No title

 オラの話をすると 高校入って いきなり数教科落ちこぼれた。  なんだかよくわからないが、点数が取れないのだ。 

 例えば・・・
 高二で化学を勉強した。 かなり頑張って勉強した。 物理:化学=0:10 くらいで勉強したのだ。
 そしたら 何もしなかった物理は学年トップクラスだったのに頑張った化学は赤点だった。

 こういうことはよくある。 オラは極端だが、得意教科は0勉でOK 苦手教科はいくらやってもダメ、なのだ。 

 自然に苦手教科はやる気がなくなる。

 なんというか・・・ ななしさんともよく議論したが、「教科の全体像」がわかると テキトーにやっても点数は取れる。 しかし全体像がわからないといくらやっても点数に結びつかないのだ。

 頭のいい人、というのは教科の「全体像」を掴むのがうまい。 逆か? 全体像を掴むのがうまい人が「頭のいい人」かもしれない。

※あ、要するに「苦手教科」でも「全体像」が見抜ける人が「頭のいい人」ってことね

※全体像というのは 「ゲームのルール」と置き換えてもいい。  社会に出ればいろんなゲームがある。いち早くそのルールを理解したものが強い、かな・・

No title

すごい!偶然ですが、今日、子供が解いた英語の過去問がハルビンさんのおっしゃった
「全体像把握の重要性」に関する問題でした。

2004年東大の大問1(要約)
原文は"Chess masters can exhibit remarkable memory"で検索してみてください。

教学社の赤本による模範解答はこんな感じでした。

解答1)ある分野で優れた人が自分の専門内で並外れた記憶力を発揮するのは、全体を理解した上で、各部分がその中で持つ意味や役割を把握しているためである。

解答2)熟練者は専門分野で優れた記憶力を発揮するが、それは各部分が単独に記憶されるのではなく、全体との関連を理解することで記憶にとどまるのである。

No title

 この「全体像」議論ってオラは割と好きで、よく話をする。
 
 でも逆のことを言う人もいる。
 「木を見るから森が見える」理論だ。
「量質転換」論である。

 なんだかよくわからなくてもいいから、三角関数の計算とか対数計算とか、まずは計算演習を繰り返すことで、次第に本質が見えてくる、と言う意見だ。

 歴史で言えば、年代を暗記することで、同時代性や流れが次第に分かってくる、という話。

 量が質に転換する。
(全体像がわからなければ、まずは量をこなすのが大事)

 これももっともな意見である。
 凡人にはむしろこっちの方が正論かもしれない。
 

スパイラル方式?

木を見て森を見、森を見て木を見るという視点の往復運動の中に、知の深まりと定着があるのかもしれませんね。

2019/05/10のJGさんの記事「習い事万感」の中で、私は「知識を自らの血肉とし教養のレベルにまで高めるとなると、ある一定の領域の知識群を「総体的」かつ「体系的」に「言語化」して取り入れる必要があると思われ」、「木を見るだけでなく森を見て(総体的)、森の中におけるそれぞれの木の位置付けを見て(体系的)、そういう全体像を言葉で説明できること(言語化)」とコメントを書きましたが、そういうことが頭にありました。

中学受験塾のスパイラル方式?ってそういうものなのかしら?

No title

さて、脛に傷さんが紹介してくれた 東大の入試問題を見てみました。

 もちろんオラは機械翻訳
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チェスの達人は、盤上のチェスの駒の位置について驚くべき記憶を示すことができます。実際のゲームからボードに5秒だけ露出した後、ある研究の国際的なマスターはほぼ全部で25個の位置を覚えていましたが、初心者はたった約4個の位置を覚えていることができました。さらに、マスターのために彼らの掲示板に対する記憶が後でテストされることを知っていたかどうかは問題ではありませんでした。彼らはそれを覚えているという意図もなくボードをちらっと見たとき、彼らも同じようにパフォーマンスしました。しかし、マスターが意味のあるゲーム状況を表していない、ランダムに配置されたピースで構成されたボードを見せられたとき、彼らは初心者だけを覚えていることができませんでした。
経験を積んだ俳優もまた、彼らの専門知識の分野で並外れた記憶を持っています。長いスクリプトを比較的簡単に覚えることができます。これに関する説明は、チェスマスターの場合とほとんど同じです。最近の研究は、単語ごとの暗記を試みるのではなく、俳優は自分の性格の動機や目標への手がかりを手がかりにスクリプトを分析し、無意識のうちに彼らの中の単語を彼らの知識全体と関連付けることを示した。暗記は意味を探すこの過程の自然な副産物です。ある俳優が言ったように、「私は本当に暗記していません。努力する必要はありません...それはただ起こるだけです。ある日早くに、私は行を知っています」。脚本を理解するための俳優の試みは、文字によって使用される正確な単語の拡張された技術的分析を含むことが多く、それは今や一般的な意味だけでなく、言われたことの正確な想起を促します。
******************

ふむ。

AIを試すことと人間を試すこと

最後の方は少しグダグダですが、機械翻訳けっこういけますね。解答を作るための前さばきとしては問題ない。

ただ実際に解答を導くには、テクストが言わんとすることを理解し抽象化して記述しなければならないので(→これは論理の力)、機械翻訳(→統計の力)では限界があるのでしょうね。

No title

高校生の間で評判の「みらい翻訳」の結果はこんな↓感じです。

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チェスマスターは、チェスの駒の位置をボード上に記憶することができます。実際のゲームでたった5秒ボードに触れただけで、ある研究の国際的なマスターたちは、ほぼすべての25ピースの位置を記憶していましたが、初心者は約四ピースの位置しか記憶できませんでした。さらに、マスターがボード用のメモリが後でテストされることを知っていたかどうかは問題ではなかった。覚えているつもりもなくボードをちらりと見たときも、同じようにうまくいった。しかし、意味のない駒をランダムに並べたボードを見せると、マスターたちは初心者しか思い出せなかった。
経験豊かな俳優も、専門知識の分野に並外れた記憶を持っている。長い用字を比較的容易に覚えることができ、その説明はチェス名人の場合とほとんど同じである。最近の研究によると、俳優は、単語単位の暗記を試みるのではなく、自分のキャラクターの動機や目標への手がかりとなる台本を分析し、長年の経験で蓄積された知識全体と無意識に関連づけている。暗記は意味を探す過程の自然な副産物である。ある俳優が「あまり覚えません。努力は必要ありません...。ただ起こるのです。一日早く、私はセリフを知っている。」と言ったように、脚本を理解しようとする俳優の試みには、登場人物が使っている正確な単語の詳細な技術的分析が含まれていることが多く、その結果、全体的な意味だけでなく、言われたことを正確に思い出すことが促進される。
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ほとんど(9割以上?)の高校生は5,6年英語を学んだ後で、これより正しくて日本語としてこなれた訳文を作れないでしょうね。
将棋やチェスの例を見ても、AIはいったんある閾値を超えると、あっという間に人間のレベルを追い越してしまいます。英語を学ぶ意味が今後10年で劇的に変わってくる気がしています。と同時に、今まで日本語の傘の下で守られてきたドメスティックな職業にどんどん外国企業が進出可能になる気がして危機感も覚えます。

>ただ実際に解答を導くには、テクストが言わんとすることを理解し抽象化して記述しなければならないので(→これは論理の力)、機械翻訳(→統計の力)では限界があるのでしょうね。

機械学習による「要約技術」の研究も進められているようですね。どの程度まで進展しているかはよく存じませんが。
基本的に人間のやっていることの大部分はデータ(サンプル)からの学習でできるようになる気がしております。
「人間ができることで、データからの学習では困難な問題は存在するのか?もし存在するとすればいかような問題か?」というのは考察するに値する問題だと思われます。

うーむ「みらい翻訳」もなかなかやりますね。
「要約技術」の完成度まで高まってしまったら、いったい何が起こるのだろう。

>「人間ができることで、データからの学習では困難な問題は存在するのか?もし存在するとすればいかような問題か?」というのは考察するに値する問題だと思われます。

この問いは大きな問いですね。
人間である私が人間である娘に何を伝えるか。少なくともこのような問いを問う力は伝えなければならないのでしょう。問題を提起する力は人間に残された堅牢な砦であると信じて。

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ジャーナル・ギャップ

Author:ジャーナル・ギャップ
酒と野球とミステリーをこよなく愛するが、なんの因果か中学受験についていろいろ書いていくことに。

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