コメント
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オラは学生の頃、上野千鶴子や小倉ちか子のフェミニズムに傾倒したことがある。
社会の問題を男女の階級で分析する、という手法も学んだ。
でも内容は忘れたニャ。
久しぶりに上野さんの名前を見て、ふと思い出した。
※もう一回読み直してみようかニャ
社会の問題を男女の階級で分析する、という手法も学んだ。
でも内容は忘れたニャ。
久しぶりに上野さんの名前を見て、ふと思い出した。
※もう一回読み直してみようかニャ
続・偽・東京大学祝辞
上野さんとJGさんに続いて三人目の祝辞になりますから、私は手短かに終わらせます。
上野さんの祝辞とJGさんの祝辞。それぞれその中で「タテマエとホンネ」について語られていました。
それと同時に、二つの祝辞を俯瞰すると、両者が全体として「タテマエとホンネ」になっています。
「タテマエとホンネ」の二重構造です。
上野さんの祝辞とJGさんの祝辞のどちらがホンネでどちらがタテマエでしょうか。
あなたがたが立つ場所や目標とする場所によって、どちらをホンネと見るかタテマエと見るかは変わるでしょう。
今日のあなたには上野さんの祝辞がホンネに見え、明日のあなたにはJGさんの祝辞がホンネに見えるかもしれない。あるいはその逆かもしれない。
あなたがたはこれから、自分と世界とを俯瞰するメタの眼を手に入れることになります。
ようこそ、東京大学へ。
上野さんの祝辞とJGさんの祝辞。それぞれその中で「タテマエとホンネ」について語られていました。
それと同時に、二つの祝辞を俯瞰すると、両者が全体として「タテマエとホンネ」になっています。
「タテマエとホンネ」の二重構造です。
上野さんの祝辞とJGさんの祝辞のどちらがホンネでどちらがタテマエでしょうか。
あなたがたが立つ場所や目標とする場所によって、どちらをホンネと見るかタテマエと見るかは変わるでしょう。
今日のあなたには上野さんの祝辞がホンネに見え、明日のあなたにはJGさんの祝辞がホンネに見えるかもしれない。あるいはその逆かもしれない。
あなたがたはこれから、自分と世界とを俯瞰するメタの眼を手に入れることになります。
ようこそ、東京大学へ。
贈る言葉
女子には、蜷川実花さんが父である蜷川幸雄さんから受けたという「蜷川家 父の教え10箇条」を贈りたい。
(いずれ時が来たら自分の娘にも贈りたいと思う)
蜷川家 父の教え10箇条
(1)いつでもどこでも男を捨てられる女であれ
(2)経済的にも精神的にも自立せよ
(3)出来るだけたくさんの男と付き合え
(4)なにしてもいいけど妊娠だけはするな
(5)従順なだけの女にはなるな
(6)男に騙(だま)されるな、騙せ
(7)なにより、かっこいい女になれ
(8)自分が正しいと思ったら、なにがなんでも突き進め
(9)過激に生きろ
(10)妬(ねた)むより妬まれろ。
男子には、やっぱり例の遠藤周作先生のお題「女性を傷つけずに別れる方法」の答えを真剣に考えよ、かなぁ。
‥あれ?いったい何の話だ。
(いずれ時が来たら自分の娘にも贈りたいと思う)
蜷川家 父の教え10箇条
(1)いつでもどこでも男を捨てられる女であれ
(2)経済的にも精神的にも自立せよ
(3)出来るだけたくさんの男と付き合え
(4)なにしてもいいけど妊娠だけはするな
(5)従順なだけの女にはなるな
(6)男に騙(だま)されるな、騙せ
(7)なにより、かっこいい女になれ
(8)自分が正しいと思ったら、なにがなんでも突き進め
(9)過激に生きろ
(10)妬(ねた)むより妬まれろ。
男子には、やっぱり例の遠藤周作先生のお題「女性を傷つけずに別れる方法」の答えを真剣に考えよ、かなぁ。
‥あれ?いったい何の話だ。
天然~野に咲く花が生き延びる術~
(8)(9)(10)に関しては、保護者様にある程度の経済力があるという条件が付くのではないかという気がいたします。
無担保で単身勝負に挑むならば、水面下での密かな根回しや、敵の目を欺くための演技等々あらゆる姑息な手段を駆使する“あざとさ”が必要だと感じます。
女性の場合、見た目というのも重要な要素のひとつになってくると思います。
「提携先の病院で○○と△△をちょこっとなおしてくれたらSランクで契約します」なぁんて業界もあるくらいですから(苦笑)
受験板でこんな事を言ってしまうのは身も蓋もないので皆さんおっしゃらないけれど・・・やはり見た目が可愛いとか若々しいというのは得をする事が多いと感じます。
と、まぁそんなわけで、私は明日も盛って盛って盛れるだけ盛って、猫をかぶりかぶりあっかんべーしながら出勤予定でございます(^^;
無担保で単身勝負に挑むならば、水面下での密かな根回しや、敵の目を欺くための演技等々あらゆる姑息な手段を駆使する“あざとさ”が必要だと感じます。
女性の場合、見た目というのも重要な要素のひとつになってくると思います。
「提携先の病院で○○と△△をちょこっとなおしてくれたらSランクで契約します」なぁんて業界もあるくらいですから(苦笑)
受験板でこんな事を言ってしまうのは身も蓋もないので皆さんおっしゃらないけれど・・・やはり見た目が可愛いとか若々しいというのは得をする事が多いと感じます。
と、まぁそんなわけで、私は明日も盛って盛って盛れるだけ盛って、猫をかぶりかぶりあっかんべーしながら出勤予定でございます(^^;
天然〜ほろ苦くもある青春いや早春の味〜
>(8)(9)(10)に関しては、保護者様にある程度の経済力があるという条件が付くのではないかという気がいたします。
無担保で単身勝負に挑むならば、水面下での密かな根回しや、敵の目を欺くための演技等々あらゆる姑息な手段を駆使する“あざとさ”が必要だと感じます。
Geminiさん、コメントありがとうございます。
なるほど。仰る通りかもしれませんね。気がつきませんでした。
この教えは実花さんが幼少時から教えられたそうですが、蜷川幸雄さんも感性や個性で勝負する仕事を生業としておられた故の(8)(9)(10)ではないかと想像します(後年、実花さんもそのような道に進むわけですが)。
自分としては、(8)(9)(10)に関しては、相手に勝負を挑むというより、自身の殻や先入観を破ることを恐れるな、自分自身の壁をブレイクスルーせよ、という解釈でおりました。
我が子を見ていると、今の若い子は、自分の若い頃に比べて、立ち位置や商品としての自分の価値あるいは売りを常に意識させられていること、それと同時に自分も有力な消費者であることを自覚している傾向がより顕著なのでははないかと感じます。
(子どもの属性を商品と見なしてマーケティングを行うという意味では、受験板も似たようなものです)
また、生きる力とかコミュ力とかいろいろな期待や成果が課せられ過ぎて気の毒になる時があります。
あるいは、場面によってキャラを使い分けたり、あまりみんなより出過ぎないよう気をつけたり‥。
そうしてもいいけど、どこかで自分自身を見失なわないでいて欲しい。
野の花のお話が出ましたので‥
野の花はいつもいつまでも野の花で良いのか、ということをよく考えていました。
もちろん、野の花として自らが望み穏やかに過ごしているなら構いません。
しかし、人間はナマモノであり常に変化しています。好むと好まざるにかかわらず、あるいは自らの望みとしていつか野の花でいられない時が来たとき、最も強い枷は、野の花らしく(あらねば)、という自分自身の殻ではないか。
だいぶ大人になってからはいろいろ難しいと思いますが、若いうちは、たとえ失敗しても自身の呪縛から自身を解き放つ瞬間があっても良いと思います。
また、我が子にはそうして欲しいです。
という訳で、(8)(9)(10)は、自身の殻や先入観を破れ、というのが自分の意図するところです。
我が子があざとさを身につけるのはまたおいおいに‥というのは甘いかな?
何しろ、本人は野の花どころかトゲトゲをまとった青いタラの芽って感じです。
早くそのトゲトゲの殻を破ってくれないと、手練手管やそれに必要な洞察力も身に付かないだろうな。
それから、盛って盛って盛れるだけ盛れるということは、その素地がかなり良質であることに他ならないという気がします。
無担保で単身勝負に挑むならば、水面下での密かな根回しや、敵の目を欺くための演技等々あらゆる姑息な手段を駆使する“あざとさ”が必要だと感じます。
Geminiさん、コメントありがとうございます。
なるほど。仰る通りかもしれませんね。気がつきませんでした。
この教えは実花さんが幼少時から教えられたそうですが、蜷川幸雄さんも感性や個性で勝負する仕事を生業としておられた故の(8)(9)(10)ではないかと想像します(後年、実花さんもそのような道に進むわけですが)。
自分としては、(8)(9)(10)に関しては、相手に勝負を挑むというより、自身の殻や先入観を破ることを恐れるな、自分自身の壁をブレイクスルーせよ、という解釈でおりました。
我が子を見ていると、今の若い子は、自分の若い頃に比べて、立ち位置や商品としての自分の価値あるいは売りを常に意識させられていること、それと同時に自分も有力な消費者であることを自覚している傾向がより顕著なのでははないかと感じます。
(子どもの属性を商品と見なしてマーケティングを行うという意味では、受験板も似たようなものです)
また、生きる力とかコミュ力とかいろいろな期待や成果が課せられ過ぎて気の毒になる時があります。
あるいは、場面によってキャラを使い分けたり、あまりみんなより出過ぎないよう気をつけたり‥。
そうしてもいいけど、どこかで自分自身を見失なわないでいて欲しい。
野の花のお話が出ましたので‥
野の花はいつもいつまでも野の花で良いのか、ということをよく考えていました。
もちろん、野の花として自らが望み穏やかに過ごしているなら構いません。
しかし、人間はナマモノであり常に変化しています。好むと好まざるにかかわらず、あるいは自らの望みとしていつか野の花でいられない時が来たとき、最も強い枷は、野の花らしく(あらねば)、という自分自身の殻ではないか。
だいぶ大人になってからはいろいろ難しいと思いますが、若いうちは、たとえ失敗しても自身の呪縛から自身を解き放つ瞬間があっても良いと思います。
また、我が子にはそうして欲しいです。
という訳で、(8)(9)(10)は、自身の殻や先入観を破れ、というのが自分の意図するところです。
我が子があざとさを身につけるのはまたおいおいに‥というのは甘いかな?
何しろ、本人は野の花どころかトゲトゲをまとった青いタラの芽って感じです。
早くそのトゲトゲの殻を破ってくれないと、手練手管やそれに必要な洞察力も身に付かないだろうな。
それから、盛って盛って盛れるだけ盛れるということは、その素地がかなり良質であることに他ならないという気がします。
たらの芽の天ぷら〜ほろ苦くもある早春の味〜
私が娘に伝えたいのは、「自分が置かれた場所で自分なりの花を咲かせなさい」なのですが、Geminiさんと白鳥座さんのコメントを読んで、「これまでの自分とは違う花を咲かせる勇気」も時には必要かもしれない、と思いました。
>今の若い子は、自分の若い頃に比べて、立ち位置や商品としての自分の価値あるいは売りを常に意識させられていること
>生きる力とかコミュ力とかいろいろな期待や成果が課せられ過ぎて気の毒になる時があります。
あるいは、場面によってキャラを使い分けたり、あまりみんなより出過ぎないよう気をつけたり‥。
そうしてもいいけど、どこかで自分自身を見失なわないでいて欲しい。
上の白鳥座さんのコメントはいずれも、「他人の目から見た自分をどう演出するか」という話ですね。
唯一神との関係で自己を立て、唯一神を通じて他者との関係を結んできた一神教国の人々(英語では一人称には” I “しかなく、婚姻においても愛をパートナーに対して直接誓うのではなく神に誓い、神への誓いを経由してパートナーに愛を振り向ける)とは異なり、周囲の人間との関係の中に自己を立ててきた日本人(日本語では「私」「俺」「僕」「パパ」「おじさん」「先生」など、相手や自己が属するコミュニティに応じて多数の一人称が使い分けられ、婚姻においても愛を直接パートナーに対して誓う。「愛」という概念自体が近代的ではありますが)においては、「他者の目」への意識が強くなるのは致し方ない面があるかと思います。
しかし、白鳥座さんがおっしゃるように、それが行きすぎて自分自身を見失ってしまったら本末転倒だと思います。
『「他人の目」を意識する自分』を超えて、{『「他人の目」を意識する自分』をも俯瞰する自分}という地平に立てるかどうか。時には敢えて他人の空気を読まない勇気が必要になるでしょうが、自分の殻を破っていく人間は、やはり魅力的に映ります。
令和もどうぞよろしくお願いいたします。
>今の若い子は、自分の若い頃に比べて、立ち位置や商品としての自分の価値あるいは売りを常に意識させられていること
>生きる力とかコミュ力とかいろいろな期待や成果が課せられ過ぎて気の毒になる時があります。
あるいは、場面によってキャラを使い分けたり、あまりみんなより出過ぎないよう気をつけたり‥。
そうしてもいいけど、どこかで自分自身を見失なわないでいて欲しい。
上の白鳥座さんのコメントはいずれも、「他人の目から見た自分をどう演出するか」という話ですね。
唯一神との関係で自己を立て、唯一神を通じて他者との関係を結んできた一神教国の人々(英語では一人称には” I “しかなく、婚姻においても愛をパートナーに対して直接誓うのではなく神に誓い、神への誓いを経由してパートナーに愛を振り向ける)とは異なり、周囲の人間との関係の中に自己を立ててきた日本人(日本語では「私」「俺」「僕」「パパ」「おじさん」「先生」など、相手や自己が属するコミュニティに応じて多数の一人称が使い分けられ、婚姻においても愛を直接パートナーに対して誓う。「愛」という概念自体が近代的ではありますが)においては、「他者の目」への意識が強くなるのは致し方ない面があるかと思います。
しかし、白鳥座さんがおっしゃるように、それが行きすぎて自分自身を見失ってしまったら本末転倒だと思います。
『「他人の目」を意識する自分』を超えて、{『「他人の目」を意識する自分』をも俯瞰する自分}という地平に立てるかどうか。時には敢えて他人の空気を読まない勇気が必要になるでしょうが、自分の殻を破っていく人間は、やはり魅力的に映ります。
令和もどうぞよろしくお願いいたします。