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サピ偏差値と東大合格実績の微妙な相関関係

某教育風掲示板でクロコマさんが作ってくれた表を、少し加工してみた。
評価星は、「偏差値上がってるのに率落ちてる=★(黒星)」「偏差値下がってるのに率上がっている=☆(白星)」が基準。偏差値が同じなのに1ポイント以上上下している場合にも使った。
※偏差値はサピックス
※現役率とは現役東大合格者率

学校名称0 12 13 18現役率 19現役率    
筑波駒場1 72 71 --49.38% 50.92% ☆
開成中高1 67 66 --29.15% 34.91% ☆
聖光学院1 63 62 --24.24% 33.33% ☆
聖光学院2 63 63 --24.24% 33.33% ☆
桜蔭学園1 62 63 --25.11% 23.35% ★
栄光学園1 62 62 --28.90% 18.18% ★
渋谷幕張1 62 62 --08.51% 13.62% ☆
渋谷幕張2 62 62 --08.51% 13.62% ☆
麻布学園1 61 61 --20.07% 22.73% ☆
筑波附属1 61 61 --09.96% 09.24% 
女子学院1 60 60 --12.95% 11.16% ★
豊島岡女1 60 61 --05.20% 06.69%
豊島岡女2 60 61 --05.20% 06.69%
豊島岡女3 60 61 --05.20% 06.69%
駒場東邦1 60 60 --11.59% 17.60% ☆
浅野中高1 58 58 --13.90% 12.41% ★
早稲田中1 57 58 --10.07% 08.33% ★
早稲田中2 61 61 --10.07% 08.33% ★
武蔵中高1 56 55 --10.71% 05.88%
久留米附1 -- -- --09.23% 17.82%

優秀な生徒を集めれば難関大学の実績も増える、というのは一つの事実だと思うのだが、ある程度以上の偏差値と東京大学という最難関大学の実績の相関を見ると、「偏差値が1上がったから率が2ポイント上がる」というような単純な話ではなくなる、ということを上の表は表していると思う。

で、なかなか面白いことが浮かび上がる。

01.聖光と栄光が神奈川の優秀児を争うゼロサムゲームだとしても、偏差値が下がった聖光が9ポイントも伸ばし、偏差値が変わらなかった栄光が10ポイントも落としたのはなぜだ?

02.2012年に渋幕を辞退した上位層が駒東・麻布に流れたのでは、という憶測もあったが、両校とも2018よりも2019の方が結果がいい。じゃあ、渋幕を辞退した連中はどこに行ったんだ?

03.武蔵激減。これは浅野市川断層に呑み込まれたか?

04.数年前からネットでは評判高い早稲田だが、今ひとつ人気が爆発しないのはなぜだろう?

05.偏差値が上がった豊島岡はいいとして、桜蔭や女子学院が率を落としたのは、数学難化の影響と考えていいのだろうか。あるいはここに渋幕上位層(女子)が流れていたのか?
(ちなみに桜蔭の現役東大合格者数は52(2017)→55(2018)→53(2019)だから、そう考えるにはちょっと無理がありそうだけど)

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コメント

No title

渋幕問題って、「千葉私立問題」と置き換えていいとオラは思うんですよね。
 市川が良くて渋幕が悪いなら 渋幕に問題があるのかもしれませんが、千葉は 渋幕も市川も東邦も悪い。どこの学校が一番悪いか?と言われれば「全部悪い」としかいえない。

 考えられるのが・・
1)共学  ・・・ 共学に対応した教育ができていない
2)人数が多すぎ・・・ 千葉の学校はどこもマンモス。 進学校は200人から250人が適正では?
3)土地柄 ・・・ わかりません。部活に熱心な土地柄なのは事実です。
4)高校募集・・・ 東邦がこれからのびればここに原因があるかもしれませんが・・・ 答えが出るにはまだ数年かかる。

 2)を変えるのは困難だとすれば、やっぱり 1)を研究したほうがいい。みんなで久留米に勉強に行きなさい。 

ふせじょ

今日は九州出張で(久留米ではない)、今から帰京です。

附設の男女別実績はわかりませんが、私は附設が九州の青天井女子の多くを吸収しているのではないかと妄想してます(自宅通学とはいえ)。

No title

数年のうちに偏差値が乱高下する学校は少ないけど、大学進学実績は割と振れ幅が大きいですよね。
これはつまり、入学時の偏差値とか学力ってものは、6年後の学力とはあまり関係ないってことなんじゃないかな~、と最近は思ってます。

No title

>入学時の偏差値とか学力ってものは、6年後の学力とはあまり関係ないってことなんじゃないかな~、と最近は思ってます。

同じ学年に早くから受験勉強や各種オリンピックで飛び抜けた成績をあげている子が何人かいると、まわりも引っ張られてその学年全体の合格実績が上昇するように思います。自由な学校は特にそうです。教師は尻を叩かないのでまわりの雰囲気が重要です。
つまるところ、中高一貫の実績は、いかに中だるみを少なくするか、途中でやる気をなくさず早期から真面目に勉強を開始するかにかかっている気がします。やればできる子が多いわけですから。

No title

>入学時の偏差値とか学力ってものは、6年後の学力とはあまり関係ないってことなんじゃないかな~、と最近は思ってます。

>同じ学年に早くから受験勉強や各種オリンピックで飛び抜けた成績をあげている子が何人かいると、まわりも引っ張られてその学年全体の合格実績が上昇するように思います。

「鶏口牛後 vs 朱に交われば」のナゾも含め、妄想でもいいから総合的に(屁)理屈を通したなぁ・・・
「のびしろ」で誤魔化すのもキモチワルぃ。

入学時と6年後のレベルに相関を及ぼすのは、負けず嫌いとか競争や試験好きな性格、あるいはリミッターの外れた努力ができる性格とかだったりして。

ななしさんへ

>「鶏口牛後 vs 朱に交われば」のナゾも含め、妄想でもいいから総合的に(屁)理屈を通したなぁ・・・
>「のびしろ」で誤魔化すのもキモチワルぃ。

まだまだ結論は出ないですねえ。ただいろいろと外堀は埋まってきた、という印象はあります。俺の中では。

私も、入学時の偏差値や学力の多少の違いは、大学受験時の学力と相関が薄いと思っています。
偏差値変動が小さいのに大学合格実績の振れ幅が大きいというのは、確かにその一つの表れかもしれません。
(もっとも私は、ある学校において大学合格実績にある程度大きな振れ幅があっても、各学年団の潜在力にはその振れ幅ほどの相違はないとも思っており、例えば開成では、現役東大合格者数が100(学年の4分の1)~130人(3分の1)、現浪合わせて140~200人の辺りに収まっているならば、各学年団の潜在力にはあまり相違はないだろうと思っています。言い過ぎかしら)

入学時の偏差値や学力が同等なのに、その学校内で年度ごとに振れ幅が生じたり、学校により合格実績に差が生じたりする理由としては、脛に傷さんがおっしゃるような「中だるみせずやる気を落とさず勉強を継続する」雰囲気を学年団・学校で醸成できるかとか、白鳥座さんがおっしゃるような「負けず嫌いや努力を惜しまぬ性格を涵養する(あるいは失わせない)」方向に学年団・学校を持っていけているかといった、「学年団全体的・学校全体的グリット(やり抜く力)」の影響が小さくないのではないかと思ったりします。

上記の「学年団全体的・学校全体的グリット」は「性格面・気質面」の話なので議論になじみにくいかもしれませんが、「学力面・学校教育面」として議論できるなら面白いかもしれないと思っているのは、「読解力」についてです。
新井さんの『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を読んだばかりなので、私の中で「読解力」がホットになっているだけなのですが、「読解力を問う入試問題になっているか」とか、「読解力を錬磨するような授業がされているか」といった点が大学合格実績の相違をもたらしているのではないか、という論題提起です。
(もちろん、新井さんがお書きになっていることの信憑性も一つの論点ですが)

「のびしろ」論については、「伸びきったゴムの話は信じない」とむかし書いたとおり、それが潜在的学力面を表しているのであれば、私は信じていません(受験勉強のやり過ぎで中学入学後にやる気を失ってしまうというグリット喪失面でしたら、理解できますけれども)。

つらつらと失礼しました。

やっぱり数学かな?

義兄弟がかつて某サイトに↓のように書いていて、私も読解力、記述力をずっと重視していたのですが、子供の話では反例がいるみたいです。中学受験生時代とても優秀で高校時点で成績が停滞している友人達は「「国語が強かった(国語で点を稼いていた)」タイプが共通点だそうです。もっともわずか3人なので統計的に意味あるデータとは言えませんが、意外に思った(それまで国語が得意だと入学後の成績も良いかと思っていた)ので印象に残っています。
********************************************
中学受験か高校受験かで迷われている親御さんには新井紀子先生の「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」p.221周辺の一読をおススメします。
動機さんは自分ができなかったので算数に対する恨み言しか書かないのでね。
エデュの解答速報で桜蔭の国語の解答(問6)を読んでみてください。
https://www.inter-edu.com/nyushi/ouin/
問題文をきちんと読解して、これに近い解答を小学生が書けたとしたら、そんな子が6年間真面目に勉強すれば難関大に合格することは至極当然に思えます。

No title

 仮にスポーツの世界で考えて見ると・・
 中学、高校には確かにスポーツ伝統校、強豪校が存在する。もちろん得意な子が望んで入ってきたり、推薦で入ってくる子がいることも事実ですが、そうでない一般の子が伸びたりする。

 強豪校、伝統校の強みは・・
1)入り口が違う (有力選手が入ってくる)
2)いい監督 いいコーチがいる
3)周囲に上手な人がいっぱいいるので自然に上手くなる
4)全国行くのが当たり前、とかプロになるのが珍しくない、など雰囲気が違う → 「東大行くのが普通」みたいな感じ
5)練習環境が整っている 

 他にもあるでしょうか・・・


※ありり 前後の皆様の投稿に気づかずにつらつら書いたら 全然 話の流れと違うこと書いちった。 まあ いつものことだが・・

甘えん坊将軍さんへ

>「負けず嫌いや努力を惜しまぬ性格を涵養する(あるいは失わせない)」方向に学年団・学校を持っていけているかといった、「学年団全体的・学校全体的グリット(やり抜く力)」の影響が小さくないのではないかと思ったりします。

おっしゃる通りです。
自分は「性格」と書きましたが、負けず嫌いや努力を惜しまずとことんやりたがる素質を刺激するようなシステムの下では、(それが是が非かはともかく)学力の向上に一定の効果があるのではないかと思います。

あるいは、その刺激がシステムとして与えられるのではなく、脛に傷さんもおっしゃるようにそこに集う生徒たちがお互いぶつかりながら過ごす中で自ら見いだし見いだされてさらに成長が加速したり化学変化を起こしていく場合もあるでしょう。これがいわゆる校風というものなのかと思います。

ただし、ハイスペック集団では自由が良い方向に作用すると思いますが、もう少し幅の広い集団では一歩間違うと生意気だけどだらしない集団になりかねないので、その場合は少々何らかの仕掛け(管理や介入ではない)が必要かもしれません。
うーむ、でもこれが振れ幅ってことなのかな。
なんだかまとまり無くてすみません。


まだ新井さんの本は読んでいないのですが、自分としては、読解力というのはその人自身が物語る力とセットになっていると考えています。

どちらか一方だけが向上するというよりも相関し補完しあって向上していくようなイメージです。

そして、単に何かを読み取るだけではなく、他者とか異見とか、自身とは異なる視点の認識や、それらとの対話が経験として不可欠ではないかと思ったりします。

No title

  皆様の話を聞いていて、一つ気づいたことがあります。

 オラは「頭ええ奴が 環境や友人に恵まれて努力して東大に入る」と思っていた。  (つまり 
地頭+努力+環境+他 →東大  って感じ。)

 でもそうではないのかも。 サピ60あったら東大に入れるとすると

 サピ60頭 ー 環境 ー サボり ー 他諸々 → 東大に行けない

○サピ60あったら普通に努力すれば
 東大に行ける
○行けないのは途中で足踏みしたか転んだか、とにかくマイナスのことをした
○学校環境もマイナスになりうる

 ということ????

 本人に東大に行きたいという気持ちが無くなってしまったら、どんなに優秀でも別の道を選んでしまうと思うので、学校環境がマイナスになるという事も大いにあると思います。どうしても東大と言うのであればそのような雰囲気のある学校を選択すべきであり、そのような集団に属するべきだと思います。
 少々お話がズレますが、教育熱心な中国人家庭の方々には東大以外にも抜け道的な選択肢がございます。北京大学や台湾大学の医学部でございます。世界ランキングやサンデー毎日様の評価は存じ上げませんが、母国に戻れば最高学府とも言える学歴になるのは確かだと思います。

>義兄弟がかつて某サイトに↓のように書いていて・・・

どうやら私は、脛に傷さんの義兄弟さんの立ち位置に約1年遅れでようやくたどり着いたようですね(笑)。
ただ個人的にはもう少しこだわるべき点があるように感じています。

「読解力」というと確かに国語が思い浮かぶのですが、私が考えている読解力は国数英社理のすべてに通底するような何かなのです。今の私にはそのクリアな姿が見えていませんが。私なりにゆるりと考えてみたいと思います。

可換方程式?

>地頭+努力+環境+他 →東大 …①
>サピ60頭 ー 環境 ー サボり ー 他諸々 → 東大に行けない …②

私もよくわからないのですが、上の①と②は実のところ同じ方程式なのではないでしょうか。

「環境に恵まれる」=「阻害環境がない」
「努力できる」=「サボらない」

ということで。
(「地頭」と「サピ60頭」の異同についてはさっぱりわかりません)

わが身を振り返るに、「地頭さえあれば阻害要因がない限り自然体で東大に合格できる」と言いきる自信がない程度には、環境に恵まれ、努力もしたような記憶があります。(言い回し難し〜)

私が田舎育ちで、かつ私自身も子も中学受験を経験していないからそう思うだけなのかもしれませんが。

No title

 そうですね。同じ方程式かもしれませんが、意識としては随分違うなあ、と思います。

 視界に捉えているかどうかの差、というか、イメージできているかどうかの差というか・・。

>同じ方程式かもしれませんが、意識としては随分違うなあ、と思います。

確かにベクトルの向きを反対にすれば、景色が変わるという面はあるかもしれません。

サピックスの在籍者数が5〜6千人としますと、正規分布しているとして、サピ60以上は800〜1,000人程度。雰囲気のある数字だと思います。

No title

先ほどの書き込み、一部に事実誤認があったので削除しました。失礼いたしました。
まあ、なんだかんだ言って東大は難しいです。
子供の勉強の様子を覗いてもやってもやっても終わらない感じです。科目、範囲が広いので。
数Ⅲなんかもう3年くらい勉強してるのにまだ怪しいもんなぁ。高3で開始して間に合う子は本当に優秀だと思います。

白鳥座さんへの返事

白鳥座さん、どうもです。

>自分としては、読解力というのはその人自身が物語る力とセットになっていると考えています。
>どちらか一方だけが向上するというよりも相関し補完しあって向上していくようなイメージです。
>そして、単に何かを読み取るだけではなく、他者とか異見とか、自身とは異なる視点の認識や、それらとの対話が経験として不可欠ではないかと思ったりします。

白鳥座さんの上のコメントを、私なりに深く噛みしめています。

■「物語る力」: この世界に存在する主体としての自己を打ち立てること。

■「相関し補完しあって」: 主体(打ち立てた自己)とは別の主体(客体)を立てつつ、主体と客体との間主観性のうちに(自己を物語る力と客体を読み解く力のうちに)相補性を見出すこと。

■「自身とは異なる視点の認識」: 視点を主体(自己)から切り離して客体へ移し、さらには主体と客体を越えたメタレベルへと視点を移行させるメタ認知の獲得。

■「それらとの対話」: 自己の主張と客体の主張を超克したアウフヘーベンの志向。

個人的にはいずれも大切な知の技法だと思っております。

甘えん坊将軍さんへ

お返事ありがとうございます。

以前も書きましたが、幼い子は、自身の語りをただただ向き合って聞いてくれる他者の存在により、自身を受け入れてくれる世界に気づき、その手触りを知るのでしょう。
(黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」の冒頭にもトットちゃんとトモエ学園の小林先生との出会いのエピソードが出てきます)
そしてそれが世界に踏み出すその子の基地になるのだと思います。

必ずしも親でなくても構わないので、話を聞いてくれるあるいは寄り添ってくれる他者の存在が、異なる存在や視点を認識したり、それらと対話する力のために後々必要なのではないかと子育てを通して感じてきました。

それにしても、凡人である自分が書いたショボい書き込みでも、優れた書き手の手にかかると、かくも上質になるのかと恐れ入る次第です。

雨後さんのおっしゃる通り、甘えん坊将軍さんは宇宙人!?と、自分も思います。
(BGM:UFO by ピンクレディー)

>「読解力」というと確かに国語が思い浮かぶのですが、私が考えている読解力は国数英社理のすべてに通底するような何かなのです。


自分も同感です。

それで思い出したのですが、何らかの物事や現象の本質をズバッと見抜く人っていますよね。
必ずしも学歴に関係ない場合もあります。
こういう人は、読み取る力というか、本質を見抜く力が高いなぁと思います。

あ、そうそう、以前書いた数学モンスターですが、ご覧になってくださったのですね。
実は、自分も入試に関係なくその後しばらくハマりました 笑

>話を聞いてくれるあるいは寄り添ってくれる他者の存在が、異なる存在や視点を認識したり、それらと対話する力のために後々必要なのではないかと子育てを通して感じてきました。

おっしゃる点は、私にとっても子育てにおける重要なテーマの一つです。

他者の存在や視点を認識すること、そして他者と衝突するのでなく対話すること。自己中心性を脱して、自己と他者とを俯瞰する眼を獲得し、対話により自己と他者の相克を越えた地平を切り開く力。
こういった力は、他者との関係でももちろん重要ですが、自己との関係でも重要だと考えています。

私は、他者とよき対話ができる人間は、自分自身ともよき対話ができると信じています。
自分との対話は、「反省」、「感情のコントロール」、「努力」といった、自分をよりよき方向に転じさせるための行いの出発点だと思っています。過去や現在の自分を自ら俯瞰し、自分自身との対話を通じて、今日までの自分とは違う未来の自分を描く。
そのような自分自身を自ら俯瞰する眼は、他者の存在や視点の認識や、他者との対話により培われるものだと思うのです。

ここで大事だと思うのが、白鳥座さんが「他者」について修飾した、「話を聞いてくれるあるいは寄り添ってくれる(他者)」という部分です。

「子供は、理解する前に、先ず真似をしなければ、大人にはなれないし、私達の生活の大部分は人真似で成立っている。真似をするには、他人の存在が必要であるのみならず、他人への信頼が必要である」(小林秀雄) ←偽ではない。

まねぶ(真似る)がまなぶ(学ぶ)に転じたように、学びの原点は真似にあると思いますが、真似る対象となる他者は、ただ存在していればよいのではなく、信頼されていなければならない。

私は娘にとってそのような「他者」になれているだろうか。娘の話を聞き、娘に寄り添えているだろうか。
自問しています。そして自問をし続けること自体が答えなのかもしれないと思っています。

先生ごめんね

いや、私は優れた書き手でも何でもないです。格好つけているだけです。
ただ仕事上文章を大量に読み書きしていることもあってか、若い頃に比べて多少書くことに慣れてきただけです。

正月に実家に帰ったとき、高校時代の私のノートが見つかりました。
新聞の社説などを拾い、それについて自由に論説したり感想を述べたりしたものです。毎週の国語の課題でした。
昔の自分が書いたものでしたが、読むのが恥ずかしくなる、というか読むに堪えないくらい中身のないひどいものでした。
「おいおい、こんな文章を毎週先生に提出していたのかよ!」

教えられたこと

>私は娘にとってそのような「他者」になれているだろうか。娘の話を聞き、娘に寄り添えているだろうか。
自問しています。そして自問をし続けること自体が答えなのかもしれないと思っています。


そしてそのような過程で、大人も幼い子に何かを教えられ、救われているのでしょう。

かなり以前に、故金子兜太先生の講演会で、(勉強ではないのですが)子どもにわかるように教えるにはどのようにしたらよいか質問させていただいたことがありました。

その時に先生からいただいた「子どもは大人が考える以上にいろいろわかっているので、教えるというより、こちらが一生懸命やればちゃんとわかってくれる」というお答えを大切に時々思い出しています。

先生ごめんね その2

>「おいおい、こんな文章を毎週先生に提出していたのかよ!」

それも先生への信頼ということではないでしょうか。
甘えん坊将軍さんのような方にも研鑽の時代があるのですね。ちょっとホッとしました。

かなり前の確か自分が中学生くらいだった頃、なぜか母本人が小学生の頃に書いた作文を実家で発見したことがあります。
いや、作文なのか何なのか、「先生はこうおっしゃったけれど、こういのは矛盾しているので私はおかしいと思う。」
要するに先生の指導にケチをつけている超生意気なシロモノだったのだ。
まあ、正義感が強く気が強くて、らしいなぁとは思ったけど、その文章の生意気っぶりに笑うしかありませんでした。

また後年別の機会に自分が小学生の頃のノートを見つけましたが、文章のひどさ以上に落書きが凄まじく(面白いけど)、これは我が子には見せられないなと思い物置の底に沈めました。
恐ろしや、実家の物置。
(話が脱線してすみません)

ダメ出しを増やしつつある他者

>そしてそのような過程で、大人も幼い子に何かを教えられ、救われているのでしょう。

ほんと、そうですねぇ。
子にとって私が他者であるように、私にとって子も、学ぶべき他者です。
最近は娘からのダメ出しが増えてきました。とほほです。

庭にある魔境

実はうちの納戸も魔境でして。数年前にすこし少し掘り返してみたら、高校時代の日記帳が出てきました。

モノが大量にあるので、ちょっと手を出しかねているのですが、GWに少しまた掘ってみようかな。

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ジャーナル・ギャップ

Author:ジャーナル・ギャップ
酒と野球とミステリーをこよなく愛するが、なんの因果か中学受験についていろいろ書いていくことに。

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