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精神安定剤は必要なのか?~送りバントとトレイ・ヒルマン

今回は野球の話に見せかけて、実は確率・統計の話であり、しかし最後は日本人のメンタルの話になります。うまくいくかな?

さて、某教育系掲示板で「あく」さんと序盤の送りバントの話をした。
つまりは野球の話。この序盤の送りバントに関して俺は反対で、理由は「つまらない」からではなく「勝てない」から。

そこで一気に確率・統計の話になりますが、かつて大リーグは豪快な野球、日本は緻密な野球、という比較がされていた。
ところがこの20年ほどで、日本はとんでもなく遅れていたことが判明した。緻密どころじゃない。「いい加減」で「大ざっぱ」で「固定観念に支配された」野球であったとさえ思える。

有名なのはオークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGMによる、セイバーメトリクス・ベースボールだろう。
何やらカタカナが増えてきたので簡単に紹介すると、旧来の評価軸とは別に、「勝つために本当に必要なものは何か」を追求した野球である。
つまり、今までなら野手なら打率・本塁打・打点・盗塁が重視されてきたわけです。
で、そういう選手を集めれば強力な打線が組めると考えられてきた。

ところがビリー・ビーンはそうじゃない、と言うわけだ。
ここで二人の選手をご紹介しましょう。数字は打率、本塁打、打点の順。

A選手 .320 30本 100打点
B選手 .270 15本 070打点


どう考えてもA選手の方が打撃力が優れている。年俸なら倍ぐらい違ってくる。
ところがビリー・ビーンはB選手の方を評価してくる。何故か。
実はここには出していないが、ある成績がB選手の方が高いからだ。その成績とは「出塁率」。
A選手の出塁率は「.360」。B選手の出塁率は「.370」。

ビリー・ビーン曰く、「出塁率とはアウトにならない確率のことであり、時間制でない野球において最も重要視されるべき数字」。
これは一例だが、もっと詳しく知りたい方は『マネー・ボール』(ビル・ジェームズ)をお読みください。

さて、アメリカには野球オタクかつ確率オタクがたくさんおり、そういう連中から優秀な奴を球団がスカウトして、ベースボールの真実の姿を紡ぎ出そうとしている。
最近のヒット作が、「送りバントと得点相関」だ。

ここで最初の「序盤の送りバントの話」につながる。
実のところ、送りバントは得点期待率を下げるだろうという気はしていた。しかし得点期待率どころか得点発生率までも下げていた。
いかにアウトひとつは重いか、という証左でもある。

ただそうはいっても、送りバントが得点発生率を引き上げる場合もある。
それは打者が異常に低い出塁率の場合だ。セントラルリーグならば、ピッチャーが打席に入っているケースなどがそれにあたる。
つまり、ピッチャーあるいはピッチャー並みの奴がバッターボックスに入ったら、送りバントもアリかな、という程度だ。

この送りバントの研究結果は、21世紀初頭には日本に入ってきていた。つまり12球団とも、この調査結果を知っていたわけだ。
ところが送りバントというのは、なかなか減らない。
勿論送りバントは「絶対悪」というわけではないから(作戦というのは、相手の予想もしないことをすることで成功する可能性を引き上げるから)、やってはいけないというわけはない。
しかし初回に1番バッターが出塁して、2番に送りバントをさせるというのは、なんといううか、「思想がない」。
そもそも2番に非力なバントマンを置くのが、用兵のミスだと思うのだが……。

かつて北海道日本ハムファイターズを率いて日本一にもなったトレイ・ヒルマン監督は、「送りバントは日本人にとっての精神安定剤」と喝破した。
日本人は安心するために、そして結論を引き延ばすために送りバントをする。
それを見たヒルマンの合理的な頭脳と精神は、送りバントを批判して封印する代わりに、その精神安定剤を選手たちに適時飲ませ、チャンピオンフラッグを手に入れた。

ヒルマンの優勝から10年以上経つが、いまだに日本人野球選手(そしてファン)は「送りバント」というドラッグを必要としているのだろうか。

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コメント

塾は親の精神安定剤

 とにかく塾に行っていれば、精神安定剤になる。
拘束時間が長い塾が、いい塾だ。
精神安定剤としては、ね。

(1日 10時間勉強する、という正月特訓なんて最高だ。 親はゆっくり正月を楽しめる)

野球ネタだ。ドラフトも日本シリーズも終わって、次はセンバツまで長いなあとヒマしてたからちょうど良かったよ。
まあ、せっかくの上位打線の2番手にバントした方がいい選手を置いとくのが時代遅れだよね。野球はとかく派手な逆転劇がクロースアップされがちだけど、確率的には先手必勝、だと思うんだよね。(でも、子供の草野球だと、ジャンケンで勝つと後攻を選ぶことが多い気がする。延長戦は後攻有利、なんてのも怪しい。)
だから、4番までにベストの打者をさっさと並べた方がいいと思うんだけどね。最近はMLBでは3番に1番の強打者を持って来たり、2番にいい打者を置いたりするらしいし。
バントも「犠打」とか言うし、犠牲フライとか、日本人は「みんなのために私は犠牲になります」ってのが好きなのかなあ?
あほらし。

Re: お

フラレボといい、極端なシフトといい、ブルペンデーといい、MLBのほうがNPBよりもずっと先進的ですね。
確率論があまり好きじゃないのかなあ、日本人は。

No title

 「大数の法則」「確率」「統計」というものが世間一般に理解されていない感じがします。
 これは 教育、メディア、両方に責任があるように感じています。メディアは安易に「確率」を使いすぎる。
 例えば・・ 「○勝○敗で、ホームに帰ってきました。過去の例から優勝確率は100%」と行った表現があります。これって確率?

 もしかしたら確率、統計なんて庶民が知らない方が官僚の作った資料で騙せて都合がいい、という思惑かもしれませんが。

二番バント絶対主義の元凶

小学生の頃の記憶なのですが、中日ドラゴンズの応援歌で、こんなフレーズが有りました。

一番タカギが塁に出て 二番タニキが送りバント
三番イノウエタイムリー 四番マーチンホームラン
いいぞいいぞドラゴンズ 中日ドラゴンズ

この歌の普及によって、二番が送って、三番が返して、四番がダメ押し、が定石という刷り込みがなされていったのではないかと推測します。

No title

 次男が部屋で大声で歌っている。
 最近 大声を出すことが多くなった。
これもストレスなんだろう。
 まあ 大声で歌ってそれでストレス発散になるならそれでいい。

No title

もしかして…

もしかして!

つけ麺さんって中居君?

そりゃ言えないよね~ ふふふ。

Re: 二番バント絶対主義の元凶

> 小学生の頃の記憶なのですが、中日ドラゴンズの応援歌で、こんなフレーズが有りました。
>
> 一番タカギが塁に出て 二番タニキが送りバント

ありましたねえ。
ところで何故タニキはヒットエンドランじゃないんでしょうか。
ところどころバントを挟まないと、スリーアウトにならないかな?

変なところでリアリスティックだ。

そういや奴もかなりの野球通だ

> もしかして…
>
> もしかして!
>
> つけ麺さんって中居君?
>
> そりゃ言えないよね~ ふふふ。

えーと、色紙、色紙、、、確かこの辺にあったよな…

No title

ジャナ天さん

サンキューです。ふふふ。

それから、別スレの話題で恐縮ですが、

「最低でも早慶なんていうやつは、わかってない」スレ…

いやーん言わないでください…
だって…それは…

うちの殿の口癖だからー(笑

疑惑の渦

> 「最低でも早慶なんていうやつは、わかってない」スレ…
>
> いやーん言わないでください…
> だって…それは…
>
> うちの殿の口癖だからー(笑

ハハハハハ、旦那さんもそんなこと言いますか。
……ハッ、うちの女房ってもしかして

>「大数の法則」「確率」「統計」というものが世間一般に理解されていない感じがします。

「因果関係」と「相関関係」の混同もよく見受けられますよね。そういうところにエセ科学や詐欺師が付け入るのでしょう。

事務所の方針

いやあ、うちは結構事務所がうるさいからねえ。皆さん知ってると思うけど。
特に、メ○ーさんが(おっと、スレ閉鎖の危機か?)

因果関係と相関関係

甘えん坊将軍さん、確かにこの両者の意図的な混同は、詐欺師、あるいは詐欺的マーケティング、プロパガンダの基本手口ですね。

ベンツを買う金持ちが多いからといって、ベンツを買えば金持ちになる訳では有りませんが、「お金持ちが実行している◯◯の習慣」なんてハウツー本では、「ベンツを買えば金持ちになる」に近い事を宣伝している例は結構見かけます。

元々極めて確率が少ない事象を取り上げて(ここではAとしましょう)、「AはBと負の因果関係がある」、というのも有ります。Aにノーベル賞、Bに中学受験を入れると、某巨大教育サイトでもお馴染みの議論になります。

No title

 数学と違って実社会では「相関」は統計的にわかっても「因果」は難しいことが多いですよね。

 例えば両方とも結果の場合もある (AならばB  AならばC の場合BとCにも相関があったりする)

 二酸化炭素と温暖化だって、今でこそ「二酸化炭素が原因」とある程度共通認識になったようですが、5年くらい前までよくわからなかった。
(グラフの位相を見ると 確かに温暖化が先行しているので、温暖化→二酸化炭素増加 説も説得力がある)

 生命現象、社会現象もよくわからないことが多い。

陸宿借さん、どうもです。

私はハウツー本や自己啓発本の類が苦手でして、ほとんど読んだことがありません。
ほとんど読んでいないので食わず嫌いなだけかもしれませんが、ハウツー本を読むくらいなら、人の精神構造や集団・社会心理の成り立ちについての本(古いですが『「甘え」の構造』(土居健郎)とか『タテ社会の人間関係』(中根千枝)とか)を読んだほうがいいや、と思ってしまうのです。

たぶん私がひねくれているのだと思います(「ハウツー本なぞに影響を受けてたまるか」と)。

ハルビンカフェさん、どうもです。

確かに現実世界においては「因果関係」があるか「相関関係」にとどまるかがよくわからない事象があふれているのでしょうね。理系の素養があると「仮説→実験→検証」などの過程を通じて厳格な論理的思考を身につけるのでしょうけれど、私などは先入観を持たぬよう気をつけねばと勉強になりました。

そういえば、同じ理系でも分野により求められる論理の厳密性の違いを表したジョークを思い出しました。

『天文学者と物理学者と数学者(とされている)がスコットランドで休暇を過ごしていたときのこと、列車の窓からふと原っぱを眺めると、一頭の黒い羊が目にとまった。天文学者がこう言った。「これはおもしろい。スコットランドの羊は黒いのだ」物理学者がこう応じた。「何を言うか。スコットランドの羊の中には黒いものがいるということじゃないか」数学者は天を仰ぐと、歌うようにこう言った。「スコットランドには少なくとも一つの原っぱが存在し、その原っぱには少なくとも一頭の羊が含まれ、その羊の少なくとも一方の面は黒いということさ」』(サイモン・シン『フェルマーの最終定理』(新潮文庫)p218)

さて文系人の論理性はどの程度なのでしょうねぇ。

なるほど

甘えん坊将軍さん、そのジョークは面白いですね。

例の教育サイトで、中学受験とか別学を批判している人達は、皆さん天文学者なのでしょう。

>例の教育サイトで、中学受験とか別学を批判している人達は、皆さん天文学者なのでしょう。

確かに。いや、待て。それは天文学者に失礼かもしれません(笑、のち真顔)。

No title

統計というと避けて通れない話がある。
「血液型性格診断」だ

 ただし、これは劇薬なので、使い方は十分注意しなくてはならない。

 たとえば・・「そんなん関係あるわけないじゃん。っていうかさあ、仮に関係あるとして、性格って何? 厳密に定義できるの? まずそこを定義しないと何も始まらないよね?どこに性格を定義した資料があるのさ?」

 座はしらける。 飲み屋でシーンとなる。
 場合によっては 今まで熱く語り合っていてこの後 あれこれ楽しいこともできそうな女の子の顔色が変わる。上司の査定に影響するかもしれない。

 ここは「そんなアホな」という言葉を飲み込んで「オラは 0型なんだ♪」というのが世界平和のためである。

性格論で一次会終了。そして二次会はない。

>ここは「そんなアホな」という言葉を飲み込んで「オラは O型なんだ♪」というのが世界平和のためである。

大人ですね~。そういうものにわたしはなりたいです。

私だったら・・・

「性格」とは何か。性格とは各種指標(優しさ、気前良さなど)の物差しを前提とするものであるが、人が持つ物差しはそれぞれ異なり相対的なものであるから、ある人間Aのみを対象としてとり上げてその性格を云々することは当を得ず、どのような性格を持っているかを問題にする対象者Aと、そのAの性格を判断する判定者Bとがおり、まずはその関係が問題となる(つまり、性格とは、ひとりの単独の人間のみから内発的・完結的に表わされる表現型ではなく、ある人と人との関係性の中で立ち現れる型であるから、Bとの関係ではAはケチであるが、Cとの関係ではAは気前が良いということがありうる)。

・・・と始めて、場が白け、酔いも覚めることになります。

Re: 性格論で一次会終了。そして二次会はない。

しかしながらこのブログの面子での飲み会ならば、

「Bとの関係ではAはケチであるが、Cとの関係ではAは気前が良いということがありうる」というのは尤もだが
常にBとの関係でAがケチであるとも限らず、その定量的・定性的な計測が~

などと二次会どころか三次会まで流れ果て、
挙句に「ここの勘定はブログ主がもつべき」などという動議が発せられ、それを拒否するや
「ジャーナルは定量・定性ともにケチだ」などと吊し上げを食らいそうで怖い。

Re: 性格論で一次会終了。そして二次会はない。

三次会まで行ったのに、話が血液型にまでたどり着かなかったか・・・。

定量・定性ともにケチとは?

一般論としては、「定量的」にケチで無ければ良いのだと思ったのですが(つまり、金は払う)、もう少し考えると、定量的にケチでは無いが、定性的にケチな人というのは、金は払うけれども、後々まで「俺が奢ってやった」と、恩着せがましく言う人の事ですかね?

であれば、定量的なケチよりも、タチが悪いかも知れませぬ。

思ったより議論が熱を帯びますね。以下は私見(むかし読んだ本の受け売り)です。

ある人Bが「Aはケチである」と言うとき、真にAがケチであるとは限らない。BもCもともに「Aはケチである」と言うときも、やはり真にAがケチであるとは限らない。この場合において言えるのは、「BとCにおいて他人のケチさ(裏を返せば気前良さ)を判断する物差しが似通っており、そのBとCの物差しに照らせばAはケチとされる」ということに過ぎない。Dは別の物差しをもっているかもしれず、Dの物差しに照らせばAはケチではない(気前良し)とされるかもしれない。

上の例の「ケチ」を「優しい」「素直」「明るい」「欲深い」「冷静」「頑固」「八方美人」などなどの性格を表す別の語に置き換えてもよい。

ここからわかるのは、そもそも「Aはケチである」とか「Aは明るい」といった性格命題については、その命題単独では真偽の判定はできず、真偽判定をするには「Bにとって」とか「Cにとって」といった判定主体を置かざるを得ないということである。

そして、「BにとってAはケチである」とか「CにとってAは素直だ」などから把握できるのは、「Aのケチさ」や「Aの素直さ」ではなく(これらは単純な性格命題であり、上述のとおり命題単独では真偽の判定はできない)、「ケチさ/気前良さについてBがどのような物差しを持っているか」や「素直さ/強情・意地悪さについてCがどのような物差しを持っているか」となる。つまり、ある人Pがある人Qの性格を云々するとき、そこからわかるのは「Qの性格」ではなく、「Pの持っている物差し」なのである。

「人の悪口を言うと自分自身に返ってくる」という言葉はこのことを指しているが、自分自身に返ってくるのは悪口だけではなく、他人の性格を云々する言葉のすべてに広く当てはまることとなる。

・・・と言いながら、酒の勢いを借りて他人の悪口を言っては後悔するを繰り返しております。。。反省。

No title

 そういえば 鳥居りんこは、会えば「出身校(首都圏中高一貫限定だろう)」が大体わかる、みたいなことをブログに書いていたような気がする。

 嘘つけー   って感じもするが、6年間学ぶわけであるから 血液型性格診断よりは有意性があるのかもしれない。

No title

 日本には 血液型性格診断のほか、もう一つ怪しげなものがある。「名前の画数」だ。

 実はオラは、子供の名前をつけるとき、いいとされる画数にした。オラは姓名判断なんて信じていないが、「悪いよりはいい方がいい」と思ったからだ。
 また、何か不遇があったとき、子供が「自分の画数が悪いからこんなことになった」などと思って欲しくない、と考えたからだ。

(言い訳言い訳・・・)

>実はオラは、子供の名前をつけるとき、いいとされる画数にした。オラは姓名判断なんて信じていないが、「悪いよりはいい方がいい」と思ったからだ。

わかりますわかります。私も同じです。

私は普段理屈っぽいことばかり言うくせに、受験のたびごとに天神様へのお参りを欠かさず、こと湯島天神様の御利益を信じてやまない人間です(血液型性格判断や姓名判断とは話が違うか…)。

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ジャーナル・ギャップ

Author:ジャーナル・ギャップ
酒と野球とミステリーをこよなく愛するが、なんの因果か中学受験についていろいろ書いていくことに。

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