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本当にできる子はどこからでも東大に行ける……のか?

学習を巡る言い伝えというか格言のようなものの一つに「本当にできる子はどこからでも東大に行ける」というのがある。
まあ使い方としては、中学受験をしなくても、高校受験で最難関高に行かなくても、「本当にできる子はどこからでも東大に行ける」。

こんなこと証明のしようもないが、少し理論実験の遊びでもしてみようか。
まず開成中学を使わせてもらおう。
最優秀という点では筑駒や灘がふさわしいのだが、社会実験というのは数こそ正義なので、開成中の定員300人、そして400人の合格者というのは魅力だ。

この開成中合格者400人を入試の成績順に1から400まで並べて、上から順にABBAABB…AABというふうにABいずれかのアルファベットをふって2つのグループに分ける。
そしてAは開成や筑駒など好きに進学してもらうが、Bは全員公立中学に進学してもらう。
ここで巻き起こるBグループの大ブーイングも、開成の「あと200人どこから調達すればいいんだー!」という叫びも無視する。
自然科学だけでなく社会科学の発展にも犠牲はつきものなのだ。

さて6年後、このAB2つのグループのどちらが、東大に多く進学するであろうか。
これを10年ばかり続ければ、最初の「本当にできる子はどこからでも東大に行ける」という言葉の真偽が確かめられよう。
ちなみにあくまで俺の感覚だが、なんとなくAグループ(つまり開成なり筑駒に進学したグループ)の方が、東大に進学する数(率)は良さそうだな。
で、このなんとなくの感覚の正体をよくよく考えてみれば、それは下記のような感じか。

・同じレベルのクラスメイトと切磋琢磨する時間の量の違い
・公立中と開成中では5科の授業時間が3年間で約800コマ違う
・クラスのレベルが均質
・教える教師の力量
・使用しているテキストのレベル
・東大合格のレベルを、周囲が分かっているかどうか

これらをひっくり返すのはなかなか厳しい。
それでも逆転できるとなれば、それは相当に「本当にできる」ということであろう。
でもそうなるともはやそんなレベルの子供の成果など、全体の統計の中で言えば外れ値みたいなものだろう。
その外れ値で全体を語ろうとすると無理が出る。まあ、「お話」としては面白いがな。

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コメント

No title

 私も「本当にできる子はどっからでも東大入る」と思っていました。うん?過去形?
 まあ事実、志学館から東大入った人もいるし、結果を見るとそういうことが言えます。

 さて、遊びとして
「本当に才能がある子はどのルートを辿っても●●になれる」

 この●●に 適当に言葉を入れる
本当に才能ある子はどのルートを辿っても
・プロ野球選手
・将棋棋士
・サッカープロ
・プロピアニスト
・バレリーナ

 なんかこう書いて見ると 途端に不安になってくる。 えええ?適当な学校のサッカー部からプロになれるか? ってな感じだ。

 では
本当に才能ある子はどのルートを辿っても
・芸能人
・政治家
・小説家
になれる

 こうなると、ルートはどうでもよくなる。
 

 なんとなく・・・

・東大はそれほど難しくない
 →理科大のお前が何をいうか! という非難はともかく、 年間数千人入る東大は その道のプロに比べて それほど「才能」と「教育環境」が必要なものではない? かな

・自分一人で勉強できる
 受験勉強はやろうと思えば一人でできる。
 そして 公立、とバカにするようでも公立の勉強を100%ものにできれば 東大は入れるだろう。

 って感じでしょうか。

 まあ、開成入った方が東大に入りやすい(確率が上がる)のはなんとなく自明で、だから中学受験が過熱するんでしょうね。

 と最後は どーでもええことを書いて見る。

雑感

「本当にできる子は とこからでも東大に行ける」
これだけ意味のない言葉も珍しいのですが、某巨大教育サイトでは時々見かける言葉です。しかも書いた本人は、まるで普遍の真理を発見したかのようにこの言葉を振りかざし、中学受験とか、別学の教育効果とか、自分の気に入らない物を否定する目的でこの言葉を使います。

ロングさんの提示した社会実験も大変興味深いのですが、まずはこの言葉自体を検証してみます。

まず、「本当に」「どこからでも」という言葉に、定量的な定義が全く有りません。どのくらい優秀なら「本当に」できると言えるのか?「どこからでも」とは、学校の事だけを言っているのか、家庭環境も含むのか、教師や同級生は、等々。最低でもそのくらいは考慮に入れた上で発言して欲しいものですが、得意気にこの言葉を使う人間は、そもそも知識も思考も粗雑なので、こういう議論を仕掛けるのは時間の無駄です。

もう一つ、誰も東大に行かない学校とか、教育に無関心な家庭とか、そういう所から東大に行くには、頭の良さだけでなく、意志の強さや、周囲の無理解や誘惑や妨害に打ち勝つ胆力のようなものが、むしろ重要です。環境が悪ければ、頭が良いだけで東大には行けません。

いわゆる進学校に行くメリットの1つは、「東大に行くことを誰も邪魔しない」ことだと思っています。

「本当に出来る子」とは

地頭原理主義者は某巨大掲示板にたまに出現しますね。「本当に出来る子なら中学受験なんてしなくていい」とかですね。
でも「本当に出来る子」は大して勉強しなくても筑駒開成に入りますよ。中学受験自体が大したことではないのでどちらでも良いわけですが、周りに自分以外の「本当に出来る子」やそれに準じる子が多くいる環境に身を置くことに価値があるということでしょうね。

「本当に出来る子はどこからでも東大に行く」という主張をすることに疑問を抱かない程度の頭の親がいないだけでも中学受験する価値があるのかもしれません。

中学受験と高校受験では話が違うのかもしれませんが、高校受験時に地方公立校と都内進学校のいずれを選択するかに頭を悩ませた私にとっては、面白いテーマです。

ジャーナルさんが挙げている「感覚の正体」の一つひとつの項目を、なるほどと思って読みました(項目ごとに個人的な寄与度の大小はありますし、また自分が進まなかった高校のカリキュラム等はわからないのできちんとした比較はできませんが)。

私が思う東大受験面での進学校のメリットは、「東大を受験すること」に対する心理的ハードルが低くなるであろう点です。

東大を「遠くから仰ぎ見る険しい山」と感じてしまうと、そもそも登ろうとする気持ちが萎えてしまうかもしれないし、同じように感じている周りの人間から、登山の準備をする前に「やめておけ」と止められてしまうかもしれない。

他方で、東大を「多くの先輩たちも登頂に成功してきた目の前にある山」と感じることができれば、「俺もいっちょ登ってみるか!」となり、しかも周りの人間も同じ感覚を持っているので誰も彼を止めない。

・・・こういうところが結構大きいような気もしています。

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ジャーナル・ギャップ

Author:ジャーナル・ギャップ
酒と野球とミステリーをこよなく愛するが、なんの因果か中学受験についていろいろ書いていくことに。

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