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体罰とアイヒマン~メダルを取れなくても俺は許すよ

体罰とスポーツのお話。スポーツと体罰は相性が良い。野球部なんかは体罰の塊だ。(偏見です)
(サッカー部はどうなんだろう?陸上は?その2つは体罰よりもイジメをよく聞くが)

ちょっと前に桑田真澄氏が体罰を否定する論調を出したときに、井村雅代氏(シンクロの鬼コーチ)が反論していたが(力づくじゃないとだめなこともあるとかなんだとか)、オリンピックだというレベルなら好き勝ってやれば良いさ。
それこそ体罰でもセクハラでも誘拐でも、それで勝てるならやりゃあ良いのさ。選手の納得が必要だが、絶対勝てるならOKだという選手だっているだろ(ドーデモイイヨ)

無論、好結果が出ている間はこういう人たちの醜聞は封殺される。
しかしどういうわけだか勝負の世界に鼻までつかっているくせに、こういう人は自分が負けることをイメージできていない事が多い。
一旦負ければそれまで許されていたことが許されなくなり、一気にパワハラセクハラとそれまでの貸し借りが精算されるということに、なぜ考えが及ばないのか。

さて本題。
とある学校で、看板部活の監督が体罰で問題になった。学校側が監督の解雇を発表するや否や、その部活の保護者たちが沸騰した。
俺はその時、外部委員みたいな形で参加していたのだが、まあ、驚いたね。何に驚いたって、保護者諸君が「解雇するな!」「解雇しろ!」に二分されたことだ。
俺はてっきり「解雇は当然、より厳罰を」みたいな話になるかと思ったのだが、「解雇反対派」は、
「あの監督がいなくなれば弱くなるのは目に見えている、うちの子の青春はどうなるのか」
というのが基本線。どうやら指導技術は定評があったようだ。

「解雇するな!」「解雇しろ!」の双方ともにヒートアップしていたので、校長が仕方なく「本校としても○○氏のこれまでの業績を考えると、解雇というのはかなり厳しい処分だと思われますが、彼の行動を考えますに……」
で、肝心の体罰の内容が明らかにされたけど、あれは何というか、すごかったね

「解雇するな!」とボルテージを上げていた「ママン」も「パパン」も、即刻前言撤回するほどだった。「うちの子の青春」なんて生ぬるいことは言ってられない話だったわけ。

「アドルフ・アイヒマン」
この男のことを、我々は定期的に思い出すべきではないのか。
体罰の話題のたびに俺は思う。
人間は人間に対していくらでも非人間的になれる。

「彼はごく普通の小心者で、取るに足らない役人に過ぎなかった」 ハンナ・アーレント

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コメント

アイヒマンの名を聞くと、ミルグラム実験を思い出します。高校の国語の授業でとりあげられた本の中にミルグラム実験の話が出ていて、「人間は置かれた環境や与えられた役割によって簡単に左右されてしまう」のだと思い知りました。

それ以来、「与えられた役割に専念・没頭すること」も大事だけれど、それと同時に「そんな自分を俯瞰的に見つめるもう一つの自分の目」も持ち合わせていないと危険だなと思うようになりました。

余談ですが、ミルグラム実験を知ったためか、「本当の自分」とか「自分探し」ということばを素直に受け止めることができなくなってしまいました。見つけたと思った「本当の自分」は、いかに脆く崩れやすいことか!

No title

暴力的衝動は、性的衝動と繋がっている部分があり、人間の根源的衝動の1つですから、体罰は常にそれが自己目的化するリスクを孕んでいます。星野氏のケースとかは、完全にそうでしょうね。
幸い、私は学校や職場において体罰を受けた記憶は有りません。周囲には体罰を受けた者も居ましたから、決して優等生ではなかった私が体罰を受けなかったのは、面倒な人間だと思われていたからかも知れません。
前述の自己目的化のリスクに加えて、教育的効果も極めて疑問なので、私は体罰を絶対に否定しますが、一つだけ私も納得した体罰が有ります。
高校の時、上の学年から留年で私のクラスに降りてきたクラスメイトが居ました。なかなかクラスに馴染めずにいた彼を、クラスの一人がひどく揶揄する内容を黒板に書き、教室に入ってきてそれを目にした担任は、「これは誰が書いた?ちょっと前に来い」と書いた本人を教壇に上げると、拳で頭を一回殴り、抑えた声で、「やって良いことと悪いことがある」とだけ言って本人を席に戻し、普通に授業を始めました。いじめは絶対に許されないこと、ということを簡潔に強く本人とクラス全員に伝えるために、拳をふるったのだと思います。その先生が体罰をしたのを見たのは、後にも先にもそれだけです。

そして終わった後は何事もなかったようにふるまう

> その先生が体罰をしたのを見たのは、後にも先にもそれだけです。

体罰に限らず、大人が子供に腕力を行使するのは、外交における戦争のようなものでしょう。
本当なら使うべきでないということは万人の認めるところだが、使う場合には最小に最短に。

ミルグラム実験と絶望先生

> 余談ですが、ミルグラム実験を知ったためか、「本当の自分」とか「自分探し」ということばを素直に受け止めることができなくなってしまいました。見つけたと思った「本当の自分」は、いかに脆く崩れやすいことか!

みうらじゅん氏に『自分なくしの旅』という本があります。
また漫画『さよなら絶望先生』に自分を棄てに行く話がありました。

ちょいちょい棄てるぐらいが、「自分」なんてちょうどいいのかもしれません。
まあ、自信が無けりゃ、棄てられないんですけど。

アイヒマン

>アイヒマン

 以前も書きましたが、普通の人間が組織の論理で人をkoroす。中にはエリートもいる。

 手抜き工事、 冤罪・・・

 組織の力学は本当に怖い。 人間はそこから本当に自立できるのだろうか・・

※ネットの制限により 一部 ローマ字にしました

No title

いつも考えさせる話題提供、ありがとうございます。

体罰は反対です。とくに「愛のムチ」って言葉には、恐ろしさすら感じてきたこともあります。なんて大人のエゴが凝縮された言葉なんだろうって。本来の意味は知りませんが。

他方、私が子供の頃には、物理的接触を持つ体罰より、言葉の暴力の方がずっとイヤでした。もちろん、体罰はピンキリで、ゲンコツ、ビンタから戦争(いきすぎ?)まであるのでしょうが、私は「ビンタで済むなら、それで終わらせてくれ」といつも思って学生時代を過ごしてきました。言葉の暴力は、今でも、私の心の中にくっきりと(と書きたいところですが、曖昧に)残っています。
だから「体罰がダメだから言葉の暴力でいこう」だけは、絶対にさけてほしいです。
といいながら、そうとう気を付けていても、私もやっちゃうんです・・・

時に女の子はとんでもない言葉で男を切りつける

>言葉の暴力は、今でも、私の心の中にくっきりと(と書きたいところですが、曖昧に)残っています。
>だから「体罰がダメだから言葉の暴力でいこう」だけは、絶対にさけてほしいです。

この歳になると、個人的には言葉の暴力なんてまったくどうでもよくなっています。
誰にどんなことを言われても、傷つくような時代はすでに過ぎ去りました。
2ちゃんねる(現5ちゃんねる)創成期から、煽り合いと罵り合いの日々を駆け抜けたせいかもしれません。

面と向かってひどいことを言われても、若い頃ならひとしきり泣いたかもしれませんが、いまでは「まあ、いいじゃん、飲みに行こうぜ」で終わりです。
逆に、「他人が他人に言う言葉の暴力」に敏感になりました。

昨年の10月くらいに喫茶店でボケっとしてたら、隣のブースで恋人たちが声を押し殺して言い合いをしてるのが聞こえました。
しばらく楽しみながら聞いていたのですが、そのうち女の子の方が汚い言葉で罵り始めたので、時の氏神よろしく仲裁に入りました。
まあ仲直りは無理でしたが、悄然とした彼氏に「もっと強いものでも飲みに行こうぜ」。

正月に年賀状がきました。墨で何かの絵が書いてありましたが、たぶん犬なのでしょう。干支縛りがなければ熊でしょう。

中年カップルの罵り合いは最後まで笑って聞けますが、若いと駄目ですねえ。聞いていてキツイ。
できれば若い人には、俺の周りでは嘘でも仲のいいカップルを演じていてもらいたいです。

ジャーナル・ギャップさま

>この歳になると、個人的には言葉の暴力なんてまったくどうでもよくなっています。

これは私もまったく同じです。
私が言ってたのは、子供の頃、先生などの権力者からうける言葉の暴力のことです。
ある日、とある理由で先生を怒らせた。そしたら「お前は、このクラスのゴミだ」と言われ、クラス全員の前にたたされた。そして「ななしが特殊学級に行った方がいいと思うヤツ、手を挙げろ」と手をあげさせた。そしたら、まず最初に、学級委員の女(惚れてたからフルネーム覚えてますw)が手をあげ、それをみて何人かがパラパラを手をあげだした。そして、先生は「ほらみたか」とばかりに、私の手を引っ張り、特殊学級につれていき、特殊学級の試験を受けさせられました。それは「この四角の中に色を塗りなさい」という問題でした。私は、親に普段から教えてもらっていた「色を塗るときは、周りから順番に塗った方がきれいに塗れるよ」を実践。それを見た特殊学級の先生は「この子は、特殊学級に来るような子ではない」と言ってくれました。おかげで、もとのクラスに戻ったけど、その後、クラスでは・・・


いまじゃこれも笑いのネタです。夜の店で意外と口説くときに使えちゃったりするんですがw
子供の頃は、そうとう引きずってましたね。

俺だって祈るときはある

>私が言ってたのは、子供の頃、先生などの権力者からうける言葉の暴力のことです。

これはね、たぶんなくならない。
もっと強い禁忌と法律によって禁じられてる殺人が、いまだに全くなくならないように。

体罰は目に見えるから禁止しようがあるけど(完璧には無理だけど)、言葉はなくならない。
受け取る背景の文化で意味合いが違いすぎるので、単語の言葉狩りがせいぜいだろうね。

言葉の暴力に勝つには、表情と言葉とで対抗するしかないと思っている。
これは俺が本来好戦的な人間だからかもしれないが、「なくなって欲しい」と祈る前に剣をとるのが俺のスタイルでね。
小学生にできなければ、中学生の時に。それでもできなければ高校生の時に。
大人になっても言葉の暴力との戦いは続くからね。

で、大人になったら、子供たちにそれを教えないとならない。
大人はいざとなったら君たちを平気で傷つける、だから君たちはできるだけ自分の身を守らなくちゃいけない。

まるでテロが蔓延する社会のようだが、実際にはそれに近い状況と考えておいても良いと思う。
(すくなくとも「ななし」さんの受けた状況は、教育現場のテロだよ)

こしゃまっくれた子供が増えるかも知れない。
最近の子は素直じゃない、なんて憎まれ口を大人に言われるかもしれない。
でも全員が全員、大人と戦えるわけじゃないからな。
もし戦えるようなら、自分の他にせめてクラスメートのためには、少しその剣を抜いて欲しいな。

たとえば、みんなの手が上がった後でも椅子から立ち上がり
「ななしくんは僕たちのクラスメートだから、一緒にいさせて欲しいです」

祈りと言えば、これが俺の祈りだよ。

ジャーナル・ギャップさま

ありがとうございます。悩み相談室でもないのにいつの間にか・・・

「これはね、たぶんなくならない」
仰る通りです。これを前提に、自分の息子には、世の中の不条理も含めて教えていきたいと思います。

でも、それだけじゃどうしても納得いかない・・・
大人は大人社会を自ら変えていくことだって考えたいです。私が今後どんなアクションをしていけるのか・・・

「俺だって祈るときはある」
「ななしくんは僕たちのクラスメートだから、一緒にいさせて欲しいです」
カッコよすぎて言葉がでません。ジャーナル・ギャップさんの言葉を心の味方に、できそうなことはやりたいです。

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ジャーナル・ギャップ

Author:ジャーナル・ギャップ
酒と野球とミステリーをこよなく愛するが、なんの因果か中学受験についていろいろ書いていくことに。

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